3月くらいに言われた約束を果たそうとおもいます。
『鋼の森の(In concrete jungle)』を公開しました。https://t.co/xAJwEMzVEM#VRChat_world紹介
— ひしお@VRC&小説投稿 (@Karin_aka_mei) 2022年3月24日
どこにでも行けるはずの電車に乗って、昨日と同じ場所へと向かう生活。
誰もが抜け出せない小さな世界は、けれど見る人と時間によって様相を変えていく。
現実のように、景観が変化していくワールドです pic.twitter.com/c9wGVQrFVr
ここの「感想」が欲しいと本人に言われたんですが、難しくて書いていませんでした。
いまはもう欲しくないと思ってるかもしれませんが、まぁ文章を書くのは私の自由です。
ちょうどよい整理にもなると思うので書きます。
難しかった理由は、書くことがなかったからです。
VRChatのワールドの多くは「なんでもないワールド」です。個人の好み、滞在のための機能、雰囲気、いろいろがあり、そしてそれで完結する。
で、それは当然それで良くて、よかったね、でおしまいでいいんです。
しかし、そうではなく「他に向けた作品であり」「他からの感想を要求する程で」「意図に則って作られた作品」ということらしいので、もっと何かを見出すべきかと思いました。
が、それを見出だせなかったので、書くことが出来ませんでした。
正直VRChatの大掛かりな作品とやらは結構そういう傾向があるのでまぁそんなものかとも思います (なので私は何も言わない傾向にあります) が、まぁ要求に答えるという成分で以てこの文章を書いています。
そこそこ時間を掛けて私は自分の視点を文章化してきました。
- 「造られた」世界を創らせない
- つながりと実在性
- 私達はどこに棲んでいるのか
- 言葉の重み
- 媒体というものについて
- 雑記 わたしのすきなもの
- モデル
- 雑記 閉じた作品
- 主観的等価性
- 良さのレイヤー
- ディスクロニア:CAをプレイしました
- 作品と境界
なのでこれから書くことはもはやそんな新しい話ではないはずです。
あるものとないもの
街があり、世界を進行させる本があり、その本には文章が書かれています。
ただ、この文章は「来訪者に読ませる気は無い」と私は判断します。理由はいくつかあります。
- 1つは「物語」として読めないこと。全体を通して何か意味がありそうながら、「話の流れ」が存在しないように見えます。もともとあった小説の一部を切り取っただけのように認識できますが、それは当然一部でしかなく、ふんわりとした雰囲気を伝達する媒体でしかありません。真面目に読もうとしても「続き」がないので結局梯子を外されてしまうように感じます。
- 1つは話が普遍的であること。物語というのは具体性を通じて抽象を伝達する試みで出来ている (全ての表現はそうです) と私は捉えており、最初から普遍的な話をするなら論説で良いです。「普遍的な話をする主体」に意味があるケースはありますが、今回の提示形式ではまず「主体」の存在が希薄なので、そう捉えることは出来ません。
- 1つはワールドとの関連性が薄いこと。「小説の可視化としてのワールド」は面白そうではありますが、これはそれになっていません。「自分が誰かである」わけでもなく、「シーンを観測している」わけでもないので、ありうるとしてもそれは「物語が起きた場所をみる」程度です。それを幻視しろというのは私はアリだと思うんですが、それなら中途半端に人混み (物語との一致性) を表示する意味が無いと思います。
- 1つはインタラクションすると消えること。「一度読んだ文章を読み返す」という一般的な文字媒体では出来る行為をここでは否定されているので、「読み込んでほしいわけではない」という意図と解釈できます。
電車は一番よくわかんないです。来て、乗って、降りたら同じところだった。環状線ぐるっと回ったのかな?どっちにしろ「移動」はしてないです。時間は過ぎましたが。別世界線に行く的な話ならそれはそれでいいんですが、その場合は電車が「動く」必要がないのでは…純粋な「移動のメタファー」になるには余計なものが多いです。同じ場所なのか違う場所のつもりなのか、解釈するにも補助情報があの文章ではどうしようもなく感じます。
さて、中盤で道路が水浸しになりますが、こちらも不思議なところです。所謂「しんどいときに雨が降ってくる」みたいな「表現」はそこに繋がり (雨の"しんどさ") があるからこそ意味があるのです。例えば水には湿度や霧 (気だるさ・先の見えなさ) などの要素があると言えますが、今回のワールドにあるものはどちらでもありません。地盤沈下みたいな感じです。特に他に覚えもなかったので、表現を接続する先がなく、浮いているように見えます。
一部の誘導を曖昧なまま (光とか?) で行っているのはちょっと面白かったかもしれません。大枠には関係ありませんが。
なんやかんやあって全ての演出を見終えますが、「では何があったか?」というと「本をUseして次の本を探すという一連の体験」でしかないのでは、と感じます。
世界が色々と変化していくのは「私の行動」によるものではありません。それは「Useすると演出が発動するように仕掛けた作者の意図」です。そこに能動性や主体性はありません。
演出は演出する対象があってこそだと思うんですが、今回その対象が「ワールドそのものである」とする (他には無いけど) なら、私達の主観性を奪いすぎ (報酬を与えすぎ) だと思います。VRChatの多くのワールドにある「自分はここで何をしても良い」という感覚は、「やることを与える」ことによって容易に崩れていきます。
ちなみに某 Project: Summer Flare はその塩梅が非常に上手く、「目的があるにも関わらず私達の自由が保証されている」感覚を引き出せていると思います。それは遊んだらわかりますよね*1。
世の中の多くの人間は「ゲーム」が如何にちゃんと体験設計を行っているかにほぼ無頓着なのだとは思います。
まぁ、というわけで、何も言うことないなあ、と思っていました。
コンセプトを読む
一応製作記が半分あるので読みました。
そうすると面白いことがわかるというか、本人は「小説の可視化」としてワールドを作っていたらしいです。なるほど。
ということはこれは「コンセプトを果たしていない例」ということになります。ではどこが足りないのか。
…根本的に、「シナリオありきで不可逆に進行するワールド」という唯の文字列を基にコンセプトを建ててしまったことがあると思います。
前に書きましたが、こういうときの言葉遊びは良くないのです。
つまり、「シナリオがあり、不可逆に進行すればいいのか!」という発想は元の文章の意図を反映していないだろうと考えられるということです。
PSFを考えればわかると思いますが、シナリオは「私達が自らの体験を以て従うもの」であり、「流れに身を任せる対象」ではありません。
なので「VR体験として適切なシナリオである必要性がある」はずで、それを考慮しないものは本来のコンセプトに見合うものになりえません。
まぁ何よりも、「他人の発言をコンセプトのベースに据えること」は自ら一貫性を放棄することだと思うので、その時点で寂しい気持ちになりました。
ちゃんと意図を汲み取って再構築しているならいいと思いますけどね…。
そういえば小説の可視化をするVRChatワールド自体は結構前にもあったかと思いますが、そこでもやはり文章とワールドとの齟齬が大きな課題になっていたと感じました。
根本的に「可視化だけをすればいい」という発想が問題だと思っていて、「最初から可視化をすることを前提に文章を構成する」までやらないと価値のあるものにならないんじゃないかと思います。
漫画のアニメ化とかもそうですよね。
・シナリオありきで不可逆に進行するワールド(上記参照)でありながら、異なる進行度にある各ユーザーが同じ場所に居ることができる(皆で集まって同じ小説の違う貢を読んでいるような景観変化のさせ方、空間の在り方の模索)
「空間の在り方の模索」ってなんなんでしょうね。「異なる進行度で複数人が居る」ワールドはよくあると思うんですけど (だって全部localで動かせばいいんだから)、そういう状態でどういうことが起きるのかは色々と観察していれば既にわかっているものなのでは無いでしょうか。具体的には、「ああ local なのね、ってなって各個人で動くようになるだけ」です。PSF が local じゃないことの逆をやるという動機なのかもしれませんが、それよりは「同期させ方がわからない」か「同期しないほうが自然である」かでしかないように思えます。どっちにしろわざわざ書くことではなさそう。
・『小さな世界の停車駅』というお題に対する解釈として『小さな世界=抜け出せない生活の場としての閉塞感』と『停車駅=小説における切り取られた劇的な場面のみを、駅=貢として進行度に応じて乗り継がせていく』ような構造にする
これも言葉遊びかなぁって思います。ワールドの体験によって「ああこれは小さな世界で、ここに停車駅があるんだ!」とか「なるほど小説の一部を駅として切り出して進行しているんだ!」とか思わなければ、それはコンセプトになってないです。
・その素材として自著である『鋼の森のアリス(仮名仮名(カメイカリナ)) - カクヨム』を使用し、ストーリー性の担保にすると同時に文字媒体では行えなかった風景描写と、小説内の文章を使った文字演出などを行う
ストーリーというのは流れのある連続的なもので、それを切り出した離散的なものでは展開しきれないというのはそれはそうだと思うんですが、どう考えているんでしょうね。単に何も知らない人が遊びに来ることを想定していないのかもしれません。
結局は「コンセプト」はある (らしい) が「表現」に至っていない、というところかもしれません。
ならどうするか
一般に「技術がやらないからできない」はおかしくて、「やりたいことの為に技術を得る」べきだと私は思っています。私はそうやっています。
なのでそういう側面は特に書くことはありません。特にこちらの作品で気になるのは技術以外、外側の領域です。
1つは「無知の人間のシミュレーションができるようになること」かもしれません。何も知らない人が来たときに意図した現象を発生させられるか。理想的な状況を考えてはいけません。どうやら書かれている小説をちょこちょこ読んでみるに「傾向として元々の意識が個人で閉じている」ようなので、それにも関わらず「外へ向かって作った」ところに齟齬がありそうなので「体験」そのもののイメージを変える必要があるのかもしれません。
それと「自らの動機のみで設計をすること」でしょうか…。願いは自分で叶えるものだと思います。願いの解像度が自分と他人では全然違うので…。y23586さんもそれをわかっていながら敢えて書いたのだと思っています。
あとは、一般に言えることですが、「作っているものが良いものなのかを疑い続けること」。しんどいですしそれでやめることもあると思いますが、結局「良いもの」にするにはそれしかないのです。
もう一度言いますが、別に私は個人的な空間であれば口出しすること無いと思っているのでいろんなVRChatのワールドは普通に好きです。
そういう意味では「欲」の話かもしれませんが、まぁそれならそれなりにやることがあるよね、というのは一般に認められるところだと思います。
観察は大事ですね。
おわり。
*1:移動の楽しさがあること、自主的な調査欲を引き出していること、その他…