いろんなことについて「倫理」(みたいなこと) を考えていたので考えていたことすべてではありませんが、ちょうどいい話があったので。
メモ程度に残しておきます。
VRChatはゲームではない
— 探跡家もっけい (@mokkei_VE) 2024年8月23日
故にその中のワールドがどんなにゲーム的な要素があろうとゲームにおける通例、作法に縛られた構造に必ずしも設計しなくたっていい
New Gameボタンやギミックの説明、目的や世界観の説明、エンドロールやクレジット、それ以前にゲーム性の有無の情報すらなくたっていい
自由だ
私はこれに反対する立場にあります。いえ、まぁ言ってることは正しいんですが、「だからと言ってそれは良いコンテンツと言うべきかは別」ということを思います。
ちなみにこの方と面識等は一切ありませんが、定期的に流れてくるのを見ている限り私にとってはあまり好きでないタイプの人のようです。まぁ、だからと言って対話を拒むとかそういうことはないんですけど。
昔から「制作者とプレイヤーは対等でなければならない」と思っています (よく書いているはず)。正確には「対等になることを、制作者は意識するべき」でしょうか。
例えば「説明を書かないということは、プレイヤーが理解できずに止まってしまうということでもある」みたいな。
「コンテンツにバグがあるということは、プレイヤーがコンテンツに苛立ちを覚える機会を与えることである」みたいな。
エンディングを作らないということは、プレイヤーに「まだ終わってないかもしれない」という疑念を持たせることで。
ちゃんと作るほどにプレイヤーはそのコンテンツに好感を覚え、プレイヤーを蔑ろにするほどにコンテンツは嫌われます。
だからどうやってもそこは対等なのです。そしてVRChatのワールドにとっても同じことだと思います。
自由であることはそうなのだけど、それによって不幸が生まれることもあるんです。
まぁ私のワールドがわかりやすい例だと思います。
上の言い方にはまず前提があったかもしれません。「制作者があまりにも強い立場であるように見える」という点です。
謎解き系はそれが特に顕著で、極論言えば「解けない謎」を解こうとしてプレイヤーは永遠に彷徨う可能性があるのです。
バグってたりしてね。
そうすると制作者は自由にプレイヤーを閉じ込める権利がある、ように見える。けど実際はもちろんそうではない、ということが言いたかったことかな。
ちなみにこれはゲームだけの話じゃないです。いわゆるライブ演出とかも同じ枠組みで私は観ています。
で、私は「不幸になる人」ができる限り少なくなったらいいなあ、と思っているみたいです。
多分それを私は「倫理」と呼んでいます。「不幸になるようなものを生み出さない」ですね。
これはルールではなく指針なので、それがうまくいってない例も多くありますが、それは反省点として認識しています。
例えば私は自分が作ったものについての文章を公開することで、何が意図で何が意図じゃないかを判定できるようにしています。
Spirits Garden 多分クリアした~ 3時間20分くらいぽいですがこれは「私とsuzukiさんの記録」です うちらはいいけど普通はふざけんなという感じだと思うので (?) 一般の人には一切おすすめできんやろという気持ち 逆に言えば同類の方はいいんじゃないでしょうか 知らんけど… pic.twitter.com/Q3Fkh0iLeC
— phi16 (@phi16_) 2024年8月23日
このワールド、私の視点からすると確かに「ちゃんと」してます。してました。
ついでに言うとこういうワールドを求めていた部分はあると思います。キレながら楽しんでました。
ですがゲームデザインとしてはかなり厳しいものがあります。まぁそれは見ればわかるでしょう。
尖ったデザインによって表現できるものはもちろんあるので (私のワールドがそう) そこは一切悪い点ではないです。
「尖ったデザインにする」ということは「対象層を絞る」ということであり、私は多分対象層です。
そして、だから、「一般人向けコンテンツ」として見るとかなり無理があると思います。ツイートにも書きましたが。
コンテンツ自体は何も言ってないんですよ。制作者も何も言ってないです。ただ在るだけ。
My new VRChat world 'Spirits Garden'.https://t.co/9FzEwsKElu#VRChat #vrc #vrchatworld pic.twitter.com/VGeyngAn21
— ubu461 (@ubu461) 2024年8月19日
そしてそれで良かったのに。
誰かが謎解きと言ってしまうから謎解きになってしまって、誰かがクリアと呼ぶからクリアがあることになってしまう。
適当なワールドを「実は謎解きなんですよ」って言っても誰もそれを否定できない。
だからそこには「倫理」があるべきだと思う。
例えば私はあのワールドは「謎解き」ではなく「パズル」だと認識してる。「謎解きフェーズ」があるのは確かだけど、それもいわゆる謎解きのスタイルではなく…まぁそれこそCTFが近い。
どうやら謎解き系の人 (?) はこれはこれでできるみたいなんだけど (なんで?) 私はこれを単純に謎解きと (他者に対して) 言いたくはない。私が一般人と同じ思考をしているかは知らないけど。
まぁ、だから言葉には気をつけたいよね。
(私の中では) (多分) 謎解きワールドができました :「A picture in」 https://t.co/fFpaHRus8x いわゆるやつではないですがよかったらいらしてください #VRChat_world紹介
— phi16 (@phi16_) 2024年5月28日
私のワールドのツイートするときもだいぶ予防線張ってるわけですけど。これによって内容を示している気持ちでもある。
「言えば良い」わけでもないし、「言わなければ良い」わけでもない。その塩梅を縫うように喋らなきゃいけない。
ほんと難しいですよね、言葉。私がずっと批判してきたのはコンテンツではなく言葉に対してだし、SNSで起きる争いの根本的な原因もまた言葉だと思う。
だから言葉を使う人達にはずっと気をつけて見ている。
そういえば最近話題のnoteを書いた人、固定ツイート (今は外れてた) に書いてあった画像の "Trusted" の綴りが Tr"a"sted になっててウケてた。「気づかない人」なんだなあって思った。本編は読んでないけど。
何かを作るのもコミュニケーションだから倫理がいる。言葉を使うのもコミュニケーションだから倫理がいる。
結局まぁそういうことではあると思います。
結論とかまとめとかは特にはありませんが、最近考えていたことでした。