Imaginantia

思ったことを書きます

良さのレイヤー

「良い体験」という言葉があります。いいゲーム。いいワールド。良さという概念は実在します (どれくらい良いかは具体的に判断可能である) が、根本的に「良さのレイヤー」が違うことがある、という話を書きます。

端的に言えば、楽しいゲーム・綺麗なワールドは「良い」んですが、それだけでは新たな体験は得られない (=「良い」とは言えない)、という話です。

1.

所謂シンプルな「良さ」、という面ではゲームなら「操作が楽しい」「エフェクトが気持ち良い」「スコアが貰えて嬉しい」、ワールドなら「綺麗」「過ごしやすい」「いろんな物がある」というような成分があると思います。

それは確かに「良い」んですが、それによって「高品質な体験」が得られるとは限りません。むしろ場合によっては「ありきたりすぎて面白くない」まであります。

ゲーム作り初めてみたいな人がやろうとする領域がこの辺りだと思います。何故なら、こういうところから始めるしかないから。

だけど、そういう部分だけ追求したところで「先」には進めません。

2.

先にあるのはゲームなら「戦略性がある」「段々うまくなれる」「驚きがある」、ワールドなら「世界観がある」「面白いものが見られる」「ギミックがある」みたいな領域だと思います。

つまりさっきよりも少し外側の世界です。小さい良さを積み重ねて作り上げることができる「良さ」の観念です。

これは「努力」の領域じゃなくて「考える」ことで良くしていくものです。つまり色々見て「目を良くしていく」ことで段々わかっていくものだと思います。

なにかつくりたいもののベースが既にあり、それを段々改善していくことで「良く」していくフェーズです。

3.

次にあるのが「コンセプトが存在すること」です。「何をさせたいのか」「何のために作ったのか」「何故こうはしなかったのか」に適切に答えられるような作品。

これは作る前の話。もっと考える領域。

コンセプトがしっかり立っている作品は、もう 1. や 2. のような「小さな良さ」はそこまで出来に関係ありません。コンセプトが在る時点で「良くなっている」のです。

とはいえ、これができる人間は「小さな良さ」もちゃんと立てることができます。これは即ち、コンセプトがちゃんとしていると思っていても、小さな良さがちゃんと存在していないのなら、それはコンセプトが出来ていないということです。

例えば「歯車が動力伝達によく使われている世界のワールド」を考えるなら、その時点で噛み合わない歯車は作れないのです。

「何度も戦うことで強くなっていけるゲーム」にするなら、状況把握がしずらいUIにはできないのです。

コンセプトは実現することに意味があります。もとい、実現されていない要素はコンセプトではないのです。

「うまくコンセプトを実現できなかった」という状況は発生しないのです。

ゲームを名乗るなら、ゲームになっていなければならないのです。

4.

さて、その上にやっとあるのが「新規性」という良さです。みたことないものはよいもの。

とはいえ勿論いたずらに新しいものを作ってもしょうがないです (存在しないものなんていくらでもあるんですから)。その新たなものを作ることに価値がある、という状況が大事です。

例えば Portal は「パズルとFPSを組み合わせた」という新しさがありましたが、そんなことよりも「ポータルによって今まで体験したことのない物理法則とその応用を学習できる」ことのほうが圧倒的に大事です。

ここからわかるように例えば「組み合わせること」による新しさは「興味深い新規性」ではありません。組み合わせることによって発生/派生した新たな概念が大事なのです。

ちなみに「今までに無いゲームシステム」みたいなのは、ここには入りません。それは「何がしたいか」ではなく「何をするか」です。そこではなく「そのシステムによってどんな効果が期待できるか」が大事なのです。

Amebient は「雨が金属を弾いて音が出る」という (VRChat的には) 新しいシステムがあるわけですが、そんなことよりも「みんなで自由に雨で演奏できる」方が大事なわけです。

まぁ作り手にとっては、そういう「コンセプトをどう実現するかの具体的アイディア」はありがたいものであり、「良い」ものだとも思いますが。

この辺になってくると枯れた媒体 (「絵」とか) にはなかなか難しい領域になってきますね。

5.

そして、次にあると思っているのが「概念の提示」です。

そのゲームをプレイすることで、そのワールドに行くことで、「今まで視えなかった概念を認識できるようになる」こと。

本当に新しい作品というのは、体験しはじめたときには理解できないはずなのです。だけど、体験を通して概念が自分の中に生えて、もはや当たり前にまでなる。それが「体験」の持つ素晴らしい能力です。

The Witness のような。

そこまではいかなくても、まぁ。

個人的には What Remains of Edith Finch が好きです。これは「体験という概念」を体験を通して教えてくれる。

ワールドだと…あるだろうか。CUE [Archive] とかそれになってたらいいなとは思いますけどね。小さな「音楽演出手法の1つの提示」です。

PROJECT: SUMMER FLARE も類する感じがありますね。「物語体験手法の1つの提示」だと言えます。

とは言え「体験して頭がぐちゃぐちゃになるほどの作品」はまだ見たことがない気がしますね。そのうち出てくると良いな。

海外系のデカいワールドだとどうにも「大衆向け的ゲームの文法」を引用している感じがあり、こういう「インディーゲームの持つ異常な鋭さ」みたいな成分をあまり見ないんですよね。

面白いワールド、良いワールドはいくらでもあると思うんですが、「(VRChatにある) 見なければならないほどの作品」はやっぱりまだまだ少ない感じがあります。

この辺になると媒体はもはやあまり関係なくなって来たりするんですよね。Inscryption とかね。

終わり

私はそういう「新たな概念を提示してくれるような良いワールド」を求めています。作りたいです。

そしてまぁ、わかると思うんですがそういう領域の作品って「数ある作品」と存在のレイヤーが違うんですよね。戦っている場所が違う…いえ、もはや「戦っていない」のですが。

ジャンルを絞ってどうとか、綺麗なレンダリングを目指してどうとか、面白いストーリーでどうとかじゃないんです。もっと上なのです。

努力が報われたりするようなものではない。技術でどうにかなるものでもない。もっと根幹にある領域。

「本当に面白いもの」というのはそういうところにあると思っています。

 

とは言え、勿論この話は「普通に良いゲーム・ワールド」を否定するものではありません。むしろそれがあってこそ、です。

ただ「良い」と言ったときにどの領域の話をしているのかは、意識的であっても良いのかもしれません。

作品の褒め方、という話でもありますね。コンセプトが立ってないワールドでも、世界観を褒めることはできるのです。褒めることと批判することは同じですね。共に「どこに境界があるかを示す行為」です。

Z-Fightだって本当にどうでもいいことなんです。コンセプトがちゃんと実現できていればもうそれで良い。それにその領域に居る人間なら、Z-Fightを指摘されるのは嬉しいことだと思いますから。

良くない部分を指摘されて気が滅入るのは、自分自身の作品を信頼できていないからです。

責任を取る覚悟は大事です。

みんなでがんばりましょうね。

 

ちなみに、今回書いた5つの階層はなんとなく書いたらそうなっただけで、何かはっきりした基準があるものではありません。(これをはっきりさせることに意味はありません)

私はそういうのに名前を付けたりする行為が嫌いです。自分で考えることに価値がある。

各々がいろんな体験をして、たくさん考えていくしかないと思います。

おわり。