なんやかんやあって CUE [Archive] が展示された(嬉しい) Beyond the Frame Festival に今日行ってきました。よかったです。
そういえば最近日記を書いていないと思ったので、いろいろ見たものについての感想文を書いておくことにします。
11/3 Typeman
"Interactive VR Animation" 的確な語
— phi16 (@phi16_) 2022年11月3日
これがすべてなような気がする。
「VRなんとか」シリーズというジャンル分けは基本的に意味を成しません。何故ならVRになることによって解放される「原則」の量があまりにも多いので、もはや別物にしかなりえないからです。
即ち「VR演劇」という文字から想定される「演劇をVRでやるもの」という字面上の印象は、あてはまりません。正確にはあてはまるべきではありません。あてはまってしまうなら、それは「VRでやっただけ」だからです。
なのでVRで行われる殆どの創作物は「これまでには存在しないジャンルに振り分けられるべき」と私は思っています*1。
で、Typemanはその好例だと思います。
Typemanは物語がありますが、私はそこまで意味あるものとは思っておらず、舞台設定だという認識をしています。何故なら物語が動いていないからです。
代わりにそこには「切り取られたエピソード」があります。
あの3つのシーンは最後に持っていくための踏み台として用意されていると思っていて (何故なら、私たちは現代人なので、タイプライターはもう廃れている)、そういう意味では「あらすじ」に近いのかと。
で、最後に「私達」が直接関わるシーンになる。で、その先はない。話は動かない。
Typemanは救われているようにも見えますが、これは気の持ちようというやつで、具体的な「救い」があるわけではありません。タイプライターは私たちには不要なものなのです。
ただまぁ、その「気」に意味がないわけではない。ある種の問題は気で解決できることもあります。なので「私達の体験」としては話が進むのです。タイプライターは救われませんが。
なので「体験として良い」が「物語の意味は薄い」という印象を持っています。それは最後のシーンの「なげやり感」からも来ています。
別にそれでいいとも思っています。それはそういう作品として良いです。
"Interactive VR Animation" は正しく的確な語だと思います。
「何故タイプライターがモチーフなのか」ということを考えますが、なかなか答えが出なかったです。
作品の説明文には Typeman という語が出てきますが、これは「何らかの特定の他のもの」に置き換えてもきっと成り立つ文章です。
Typemanはこれまで多くの人間に必要とされ、期待や喜び、悲しみを分かち合い、共に時間を過ごしてきました。しかしいつしか人々から忘れられてしまい、自分の存在意義を見失ってしまいます。 体験者は古びたアパートの一室で、そんなTypemanと出会います。あなたは初めてTypemanと向き合ったとき、彼に対してどんな感情を抱き、どのような行動をするでしょうか。 その世界で誰かの存在に気づいたとき、あなたはここにいる意味を考え始めるでしょう。
つまりこの話の流れはタイプライターである必然性を提供しません。「忘れられたものたち」のうちの1つとしてタイプライターが採用されている、ということだと思います。
インタビュー 的にもそんな雰囲気を感じます。
タイプライターが選択されるのは的確だとも思って、例えば時代背景的には私たちはタイプライターなんか目じゃない入力装置 (VRコントローラー!) を持っていて (間違いなく「忘れられたもの」として機能するということ)、さらに「押下」っていう物理的アクションがあるのでVRでのインタラクションがつくりやすい。
実際 Typeman が始まる前にチュートリアルとして用意された「I」「2」「3」のボタンはその後の体験に先立つ学習として完璧ですし、実際にその後ほんのり使いつつ (4文字を3回?) 最後に一気に解放する、という「シンプルなインタラクションを最大限活用する」事例として素晴らしいと思います。
ちょっとおもしろかった (interestingの意) のは最後、私達が「実体化する」ところです。
それまでは私たちは手だけの存在なので「居る」とは言い切れない。だから、実体化して、ちゃんと人型として接することで「居る」ことになる。…ということだと思っているのでまぁ意味はわかる (わかったつもりになってる) んですが。
まぁこれはVRChatユーザ特有かもしれませんが、私達の姿はアレではなくコレ↓なんすよね。
— phi16 (@phi16_) November 16, 2022
なので意味が申し訳ないながらに薄れてしまっているのかなと。思いました。(どうしようもない話)
とはいえ!
それを補完する要素として「終わったあとにTypemanとツーショットを撮る」様子がTwitterでよく見られました。なので実効的な意味は果たしているのだろうと思います。
なのでまぁ。良かったは良かったなと思いました。
というわけで、Story-telling的にはどうかなとは思います (「ここにいる意味を考え始める」かなぁ…?) が、根本的な「VR体験としての意義」「インタラクションの楽しさ」「語られないが当たり前のように作らなきゃいけない領域」がちゃんとあって、丁寧な作品だったと感じました。
11/18 Metamorphosis
<KISEKI ART x Particle LIVE>
— Eallin Japan/CGSVまたはジェネラリスト募集中 (@eallinjp) 2022年11月12日
来週開催 Wacom #ConnectedInk にて
VRChatワールド公開&パーティクルライブを行います!
Particle Live: Keisy
Illustration: Hugin Miyama
Music「夜が降り止む前に」offvo
Iori Kanzaki<KAMITSUBAKI STUDIO>
Planning&KV: Eallin jp
Production: GBXD#MetamorVRC pic.twitter.com/XLq7EkOXgZ
感想はもう制作者側に言ったのでもはや書くことはないんですが…。
ここは展示空間です。で、展示するものがあの「KISEKI ART」らしいんですね。
根本的に唯のログ解析によって生まれたイラスト制作工程のある種のVisualizationをARTと呼ぶことはどうなんだとは思うんですが、まぁ名前は名前です。
いえ、逆にARTと名付けることによって「あの在り方」が許されている部分はあるのだと思います。
あそこにあるもの (展示) を丁寧に読むと次のようになると思います。
- 絵がある。
- 絵には、それを描いた軌跡がある。
- そのそれぞれの軌跡を、何らかの方法で変換すると3次元のデータ (点) が得られる。
- この変換は、軌跡の傾向を保存する。即ち最終的に出てきた点群は、ある種の「軌跡の傾向」をvisualizeするものということになる。
- よって、同じ人が描く違う絵は同じような点群を生み、違う人が描く同じ絵は違うような点群を生むと考えられる。
- 従って、この点群は人固有のデータとして捉えられ、人固有の指紋になぞらえて絵紋と呼ぶことが正当化される。
しかし、あそこに「表示」されているものは、次です。
- 絵がある。
- 絵には、それを描いた軌跡がある。
- 点群があり、その点一個一個がどうやら軌跡一本一本に対応している。
- なので点群を展開すると絵になる、ような見た目になる。
つまりここには齟齬があります。足りないものは「点群がどんな性質を持つのか」という情報です。
点群が作られた過程を考えると、例えば「同じ人が描いた絵の点群の比較」や「違う人の同じ絵の点群の比較」によってその意味を補完できると考えられます。
他にも、単純に点群の下に作者名を明記することでも「この点群は絵ではなく人に紐づいている」ことを指し示すことができます。…とは言え、これは半分正しくないので微妙な案ですが。
なんにせよ、あのワールドは「点群が軌跡になって絵になっていく綺麗なアニメーション」があるだけではあり、その意味付けはどうしようもなくテキストのみで行われているわけです。
が、まぁ、それで良いのかな?と思っています。
KISEKI ARTと「ART」を名乗っているわけですが、それは「具体的な構造などを察するのではなく見て感じてほしい」という願いなのかな?と捉えています。
私はその態度に懐疑的ですが (丁寧な観察によって理解するほうが深くかつ意義深いものになると思っています) 、まぁそうすると「あまり具体的に説明しない態度」は一応説明が付きます。
指紋に意味がないように、絵紋にも意味がない。そしてそれでいい。なんか人固有な図形があることが綺麗で神秘的で美しい。
そういう印象です。(ワールド制作者に対してではなくKISEKI ARTの制作側についての印象ですよ)
もう一度言うと私はそういうのは好きではありませんが、まぁその方針だとワールドの体験としては「かなり良い」部類になるんじゃないかと思いました。
つまり、重厚感のある「神秘的な空間」、点群を触るとなにやら綺麗な軌跡が出て絵が出るという「神秘的な体験」、パーティクルが美しく舞う「神秘的な演出」。
うん。まぁ、好きな人には好きなんでしょう。
ワールド制作のベースがリアルイベント用という話でもあったと思うので、そういうところに来る人はそういうのが好きなのかもしれませんし、まぁマッチングは上手く行っていそうです。
同時にパーティクルライブについても同様の感想を得ます。これは実際 作者本人へのインタビュー にもありましたが、「前半に関しては (中略) 一般的なパーティクルライブ」とのことなのです。
「一般的な」という言葉は私はネガティブ寄りに捉えています。つまりそこに特殊性・固有性が無いということ。ここでは後半のKISEKI ART (固有のもの) を展開するための対比として機能しているとは思います。
が、それ以上に、「一般的なものがリアルイベントに出る」ことの意味合いがここにはあるのかなと思っていて。
「パーティクルライブ」というVRChat固有文化を何らかの形で外に出したいという願いがリアルイベントにて展開することで成就されるわけです。
「ある人の作品」ではなく「文化」を出す為に必要なのはそこに傾向があることです。「一般的なパーティクルライブ」という言葉の存在が、文化の存在を肯定すると考えます。
なので、これもまた、機能しているものだと思います。
ワールドそのものについては言うことない気がします。かっこいいです。めちゃいいです。
「居やすい場所じゃないワールド」だと必然的に visits が伸びにくいというのはそういうジャンルのどうしようもない課題ですね。visits で評価することがおかしいという話でもあるが、だからと言ってワールドに評価ボタンとか付けるのはどうかな… いや意外といけるのかな。(被fav数とかは意味深いデータですよね)
シェーダはね、ほんとちゃんと使うとめちゃ効果発揮するので、こう、アーティストには是非使ってほしい…ですよね。が、まぁ「ちゃんと使う」というのは「線形代数と微分積分を理解する」という意味なので、残念なミスマッチが起きている現状です (とは言え絵をやっている人間が「図形を扱う言語」であるところの数学をやっていないのはおかしな話なのでは?)。
そういうところに 𝐓𝐞𝐜𝐡𝐧𝐢𝐜𝐚𝐥 𝐀𝐫𝐭𝐢𝐬𝐭 が居るのはめちゃ適切なわけで、まぁ、良かったんだと思います。
あと坊主さんもお疲れ様でした。
次に更新されるときはもうちょっと比較とか詳細を見る機能とかがホシイナー… 思想が合致すれば…
あと実際に絵を描くと点群を生成する機能とか… (無茶ぶり)
11/20 Beyond the Frame Festival
やっと今日の話になりました。私が行ってきたのは本会場というとこで、いろいろな作品群が2時間自由に見れるやつです。全部見るには時間が足りません。
ちなみにサテライトにも行く予定ですが、そっちの感想は多分書かないです。何故なら「あの作品を批評する意味がない」と思っているから。「作品が在ること」そのものに意味があるのかなと思っています。
さて、いろいろ観たのでそれぞれ書きます。
Eggscape (Quest 2, passthrough, 10分くらい? (目安30分))
(MRと言うよりも "passthrough" のほうが意味わかりやすいですよね。)
えー、これはもう何も文句が無いほどに「ゲーム」です。はい。
三人称視点でちっちゃな卵キャラをコントローラで操作します。ジャンプとパンチができます。
ゲームの良いところは、ストーリーとかモチーフとか丁寧に説明せずとも体験を完了させられるところです。
逆に言えばこれはゲームでしかありません。ゲームのゲーム部分だけです。でもたのしいです。
そこそこアニメーションがきっちりしているところが良かったです。アニメーション中に動けなくなったりすることはありますが一人称ではないので違和感は特にありません。
敵は一回殴れば崩れる (キューブになって散っていく) し、なんならボスらしき巨大な敵も一回攻撃するだけで倒れてくれるので、いわゆる「ゲーム性」よりは「passthrough体験」を優先したコンテンツであることがわかります。
ふつうにたのしかったです (たのしかっただけですが)。ステージが窓の外に行ったりしてウケたりしました。壁で隠れるので歩いて向こう側に行ったりとかまぁまぁ。「らしい」。
これみたらなるほど卵は「すぐ壊れるもの (なので丁寧に逃げなきゃいけない)」ことのモチーフだったんですね。ただ落下死とかしたときに割れる演出とかは特になかったのであまり「卵」を意識しているわけでもなさそう。
まぁなんかこう、シンプルにたのしい体験がつくりたかっただけだとおもいます。良かったです。
Thank you for sharing your world (Vive Pro 2, interactive VR, 33分)
ここのブースでは4種類くらい見れるとのことで、その中で「どれにしますか~これはコンセプトも面白く感動的な体験が出来るのでおすすめです~」と言われたのでそれを選びました。
VRに関して真摯な作品だと思いました。
ベースにあるのは「盲目の体験」で、まぁ、なるほどVRなわけです。
なので必然的に「音」が重要視されていて、(専門家じゃないのでわかんないですが) 丁寧に「世界の音」が表現 (represent) されています。自然に見せるというよりは、台詞によって気づかせるタイプのやりかたです。
盲目とは言え完全に目の前が真っ暗なわけでもなく、代わりに「音から想像されるそこにある存在のイメージ」が視覚に現れています。VRだね。「青色だよ」と言われるとそこが青色になる。すごくいいですね。
話の中にはそこまでインタラクションがあるわけではないんですが、一応「歩く」行為があります。これの意図は逆説的に、盲目故に「歩けないことがある」ことを強調するためだと思います。なので好き勝手したりできるわけでも歩かなきゃいけないわけでもありませんでした (歩けるシーンで何もしなかったらちょっとずつゆっくり進んでいってた)。
ありがちな「こういうのがあると迷惑だよね」みたいな話もまぁそうだね、という感じ。友人である自閉症の子の描写もなるほどなという感じ (あの"素直さ"が良い伏線でもあるわけでしょうね)。
まぁ、起承転結あってストーリーものとしてよくできていると感じました。VRしてたし。
強いて言うなら最後のシーンは (これもまたありがちですが) 「感動的」にしすぎな点が気になりました。こういうときに流れそうな音楽、明るい光、幻想的な風景、かっこよさそうな抽象的な台詞。うん。まぁ逃れられないのかもしれない。
0AR (iPad, AR, 10分)
サムネの印象は「うーんまたあの辺のアニメーションぽん置き系かな???」というものだったんですが、一応もうちょっとありました。
なんかダンス作品のコレクションらしいんです、が、なんかインタラクションがあって。空間に線を描くとかキューブを出すとか。
…そのせいでダンスをほぼ観ていません。それでいいんか?
代わりにまぁインタラクションはぽちぽちしてる (iPad持ちながらタップしたまま動くと空間に線が引けるとか、空中に浮いてるキューブをタップで撃ち落とすとか) だけで楽しいし。ついでになんだか複数人でそれを共有して観られるので楽しいし。
ダンス作品らしいんですがダンス以外が普遍的に楽しかったです。どういう意図で作ったんだろう。
タイトルの「0」は「始まり」みたいなやつで「最初に人型が床から出てきて最後に沈んで終わる」というところらしいんですが、まぁありがちな…。
そういえば途中に「(5x5x5の) ルービックキューブ (の1面) を揃えろ!」みたいなコーナーがあって (ほぼ完成されてて6手で揃う(見たらわかる)、ただタッチ反応がしんどくて全然思う通りにいかない) どうにか揃えたら「これ揃った人はじめて見た」ってめっちゃびっくりされました。だからと言って何か演出が変わるとかではないようでした。ふしぎ。
まぁー、ぽちぽちできておもしろかったです。という感じです。はい。
GENESIS (Quest 2, 3DoF VR, 13分)
私はこの度初めてちゃんと3DoFのVR映像を見ました。なるほどという気持ち。
これはなんか科学館の映像とかで見れそうな「地球が始まってから今まで」というやつです。UE製らしい。
映像自体はまぁありがちというかわかるというか、そうだねというか…。その、普遍的に良いやつです。
「ここ最近の人類による文化は地球が誕生してからを考えるとほんんんんの僅かな時間でしかない」というのが感動的らしいんですが、うん、わかります。
それはさておき。
VRでやる意義はどの辺にあるんかなと思うわけですが、まずこの3DoF VRには一応ちゃんと視差がありました (ふつうあるのか?360°との差はそこなのかな)。まぁ上と下とか視界の端だと歪みますが (どうしようもない問題)。
なので遠近感はちゃんとあって、虫が近いとか、恐竜がすぐ前を横切るとか、まぁ2Dじゃない意味はあるなと感じました。恐竜が横切ったあとそっち向くとちゃんと (もちろん) 居るので、そういう意味では3DoFらしい部分もある。
が、当然ながら自由度はフルのVRの強さ (interactive & 6DoF) には及ばないわけです。確かにこれは「映画」の流れを汲むことになるわけだなと感じました。
「自由度が及ばない」ことは「表現力が落ちる」ことを意味しません。例えば:
- 頭が動かない、ということは、「色々な方向から見る作品が作れない」が「ある位置に視点があることを前提として絵を作れる」ということです。
- インタラクションがない、ということは「プレイヤーに主導させる作品が作れない」が「強制的に好きに風景を見せられる」ということです。
- 視差がある、ということは、「遠近感のある演出が作れる」が「空間自体を客観から見るような演出 (自由なカット割り) が作れない」ということです。
まぁこれはこれで意味ある媒体かもしれんな、と感じました。
そういえばこの作品は動画を見ていることになる (なんかのシステムでストリーミングされてたのかな?) わけですが、黒付近の階調がしんどそうだった。宇宙は黒多いから。
…作品の感想というよりも「3DoF VRの感想」ですが、まぁ作品自体は「3DoF VRを限界まで活かした」作品かというとそうでもない感じ (普遍的に良いもの) だったので、まぁ。
House of Moiré (Quest 2, interactive VR, 9分)
「モアレの家」です。そうだね。モアレがいっぱいあるのを順番に見る感じです。VRChatで見たいな…。
それぞれの板は普通に画像っぽかった (AlphaClip? 近づくと境界が (画像圧縮かなんかのせいで) 劣化しているのが見える) です。
モアレ、いいですよね。シンプルなのに直観に反する不思議な模様が出るのはなんかもっと活用できそうとは前から思ってました。これ ちょっと (slightly) ほしい。
色々とこの作品ではまぁモアレが見れるんですが、こうアートっぽく (?) 空間を作るよりは美術館みたいな感じでモアレを観察するほうが好きかな。まぁ「家」らしいので意味合いが違うのかな。
一応音もちゃんとあるんですが音合わせしているように見えるかというと…わからん (一応してる、という話だった気もするんだけど)。モアレがにゅ~~ん!って消える瞬間とかなんかまぁ、そんな感じの音が鳴っていたような気がしなくもなくもない。
名前の通りのものが見れました。それくらいです。体験として良いかというと、まぁ好きな人は好きそうで、そうじゃない人にはそうでもなさそう。もっと「綺麗」に出す方法もあると思う。
この辺は多分技術力の限界というやつだと思います。今後に期待…なのかな。さっさと自分で作ったほうが速いという説もある。
ALEX HONNOLD: THE SOLOIST VR (Quest 2, 3DoF VR, 15分くらい? (全体59分))
次の「ELELE」という作品を見ようとしたらなんかバグっちゃったらしいので、直るまで見ようと思って見た作品です。なので少ししか見てないです (まず1時間ある)。どうやら一番 (3DoF VR の中では) 評判高いらしい。
これは「安全装置無しで山登り (フリーソロというんですね) をする人のドキュメンタリー」です。怖すぎ。
ドローン撮影なのかな?空中の一点から、ゆっくりと (大胆に) 山を登っていく様子を見ることができます。下を向くと「下」があります。なるほどVRなわけです。2Dだと私たちは客観なので落ちる恐怖はありませんが、VRなので同じ空間にいるのです。中空に。
一番最初のシーン (崖の側面じゃなくて、崖のでっぱりの下を伝っていくところ) で完全にやられました。あぁこれは (VRでやる) 意味あるやつだって思った。怖さがある。
インタビューシーンとかピザ焼いてるシーンとかもありました。ドキュメンタリーですね。
なので、単純に「普通のドキュメンタリー映像」に「VRによるクライミングの怖さ」が付け加わっただけとも言えるんですが、これに関してはめちゃくちゃ意味あるなあ、と思いました。
怖いよ。
何分見たかは正直わからんですが、少なくとも見ている間は一切飽きは感じなかった (クライミング中の動かないシーン、逆に集中しちゃうし) のでよく出来た作品なんじゃないかと思います。
ELELE (Quest 2, interactive VR + hand tracking, 6分)
音楽が Max Cooper でウケた。
これはシンプルにおててで遊ぶ作品です。おててをいっぱいだすとおもしろい。そうだね。
hand tracking で取得したおててが、radial symmetryで単純にいっぱい出るだけです。マジで。音に合わせてちょっと対称の数変わったりする。あと背景もちょっと変わるけど意識向ける感じではない。
が、わりと楽しい。これもモアレと同じように「原理が面白いのでそれで満足できるケース」ですね。
おててくるくるまわしたりぶんぶんしたりいろいろやってるだけですが、まぁ、たのしい。
途中からなんと「違うおてて」が出てくるんですが、そうするとそれに合わせて動かすなどもできるようになる。
これはネタバレですが同時に体験している人の手がお互いに出現するようになってて、シンメトリーおててでコミュニケーションが取れる、という話らしい。
最後に仕切りのカーテン開けてご対面するのも面白かった (なんでここだけ仕切りがカーテンなんだろうとは思ってた)。体験として良い。
まぁ「インタラクティブ作品」という感じです。別に手の形にこだわらずもっと変な形状 (直線とかキューブとか) になってもいいのにとか思うけどそれもコンセプトなんだろうな。コミュニケーションなんすかね。まぁわかります。
親愛なるウイルスたちへ (Quest 2, 3DoF VR, 3分)
最後に見たのはシンプルなイラストベースの映像作品です。もうすぐ終わりの時間だったので。
ぶっちゃけよくわかりませんでした。「詩的に表現する」らしい (一応語りがある) んですがあまり頭に入ってこなかったな…。なんか前提の共有みたいなのが足りない印象だった。詩ってそういうもんか?
いくつかシーンもあってまぁ絵が出てアニメーションして…という印象しか残ってないみたいです。具体的なアニメーションというよりは動くイラストという印象だったし。
私が疲れていたのかもしれない。わからん。
イラストベースなので天球が equirectangular 手描きっぽくて (極が伸びちゃってるの) 大変そうだなぁとか思ってた。そんなこと考えてたから作品の印象が薄いんだなこれ。
まぁジャンルが 𝑒𝑥𝑝𝑒𝑟𝑖𝑚𝑒𝑛𝑡𝑎𝑙 らしいのでまぁ、まぁ…。
まとめ
全体的に「ちゃんとした作品」ばかりだったのですごく良かったです。
スタッフさんがとても丁寧で様々ちゃんと把握されているようですごくよかったです 作品も媒体いろいろながら各々 "Beyond the Frame" されていてとてもよかったです
— phi16 (@phi16_) 2022年11月20日
行く価値はだいぶありましたね。特に 3DoF VR なんておうちじゃわざわざ見ないから良い機会でした。ちょっと作ってみたいな~という気持ちにもなった。
おわり
いろんな作品見れて楽しかったです。
*1:まぁ、写真やゲームがそうであるように「界隈からするとこれくらいは有り得る」みたいな話はあるかもしれませんが