Imaginantia

思ったことを書きます

つながりと実在性

実在するモノとは何か。

 

よく言われることですが、任意のモノは「何かと作用」して初めて存在を確かめることができます。

Black Box の中身が観測されない限り、中にあるものの性質を否定できません。

そしてこれは逆説的に「作用そのものがモノ性を持つ」という解釈ができるということでもあります。

要は「つながっているという現象」そのものが、「モノ」なのです。

 

だから、「世界につながっている」ということが、「モノがその世界に実在する」ということを示すことになります。

ちゃんと在らせる為には、文脈を紡がないといけない。世界に紐付けなければならない。

…なんか抽象っぽい話になってしまいましたが、もともと書きたかったのはレンダリングの話で。

 

こういうこと。

f:id:phi16_ind:20211011131224p:plain

「干渉している」というのは強い関連性で。それがこの2つのキューブを「つなぐ」。

「影」はただの一例で、つなぐ方法は沢山あります。例えば「同じキューブである」というのもある意味で「存在をつないでいる」感はある。

ただ、思うのが、「つなぐのが大変であるほど、その実在性が強まっていく」気がしているのです。

影は御存知の通り結構大変です。そのしんどさはそのままつながりの強さなのだと思うのです。影はやっぱり他とは違う重みがある感じがします。重いし。

アバターが世界に実在する、というのもまた同じような状況で、「ライティングが適切である」「影が落ちる」というのだけでも「在る」ようにはなると思うのです。

 

対して、そこまで (距離的な意味で) 大域的ではないにせよ、局所的につながっていることを示す機能も結構あることが思い出されます。

それは法線とか。面法線は3点で決定します (flat shading) が、頂点法線はちゃんと近傍を取得する必要があります (smooth shading)。

あとまさに Ambient Occlusion とか。Curvature Map / Thickness Map もそれに近いですね。

またスクリーンスペースで言えば Bloom もそうで、ピクセルレベルでの「近さ」を示す機能を持ちます。

MipMap 選択も ddx/ddy に依存するという意味で局所性が大切な機構になっています。その結果としてピクセルアーティファクトが消えて綺麗になるのは誰もが知っての通りです。

Eye Adaptation もある意味ではそう。あるピクセルの明るさが、全体の明るさに依存して (= 世界に棲むことで) 決定されるという機能です。

これらは本物の「大域照明」よりは安価ながら、ある程度の実在性を示すものと。そう思えます。

逆に言えば物理的正確性はやっぱり人間は見ていなくて。本質的に視ているのはつながりではないか、ということも思っているのです。

だから physically-based でなくとも、実在性をちゃんと生み出すことはできると思うのです。

 

ただどうしようもない点もあって。「つながりがちゃんとしていること」と「大変であること」はほぼ同じなのです。

まず physically-based が大変なのはまさしく「空間的につなげる」為です。volumetric rendering, reflection, indirect lighting, depth of field も全部そう。

Ray Tracing の本質もこれで、あれは「ある場所の近くに何が在るか」を知る機能なんですよね。Collider の物理計算もそういえば局所的なつながりを知る機能ですね。

よくある水面のシミュレーションは近傍ベースで行われます。ちゃんとした流体シミュレーションだと「全体として (= 大域的に) 方程式が成り立つように」反復して解く羽目にもなります。

Cloth の動きもお互いがつながっているからできること。Boids や Cellular Automata も近傍取得が本質的です。あとついでに言えば Trail は時間的につないだもの、でしょうか。

御存知の通り現実世界は全てがつながっていて、だから強いのです。

そのつながり方をこちら側で生み出すために、沢山のリソースとアルゴリズムが必要なわけです。強くつなげる為には、相応のものを注ぎ込まなければなりません。

 

対して、そうではない方法として、「空間以外でつなげる」ことを行うのがアーティストの仕事、なのかなと思います。即ち「文脈をつなぐ」。

前の話に近いこととしては例えばウェザリングみたいな領域で、あれは空間や材質の性質を映すもの。角が削れやすいとかだとその中でも局所的な領域ですね (= Curvature Map などで比較的再現がしやすい)。錆垂れとかはもっと広い話でしょうか (シミュレーションになるのかな)。

建築様式は文化につながるもので、街の構造も歴史につながり、統一されたデザインは世界観をつなぎます。そうやって「世界を観測する方法を増やしていく」と、「世界が実在する」ようになっていく。

これがどれだけ大変かというのは、まぁ、わかると思うんです。私はできないです。

だからこその、存在の重みがあるはずです。

 

要は、「ちゃんとつなぐと、よくなる」ということです。これは努力の方向性を指し示すものでもあります。

もちろん全て私個人の思想でしかない話で、というかこの文章は単なる自分の中の考えの言語化でしかないですけども。

つなぐのは大変ですが、その結果を期待して頑張っていきたいところです。

そういえばここには「最適性」があまり出てきませんね。あれはまた違う「良さ」の指標なのでしょうね、例えばトポロジー最適化の「良さ」は実在性のことではなさそうですから。

 


 

対照的に、現実世界では「つなげない」ことが難しいのです。

美術館の非日常性とか。他領域と隔離された遊園地。時代の違うテレビ。舞台と観客。光と闇だけのスクリーン。自分だけの信仰。

希少なものは価値が高いわけで。まぁ価値は自ずと反転しているような。