Imaginantia

思ったことを書きます

日記 230818

ちょっとだけ。

今日は進捗は無いけどいろいろ良いことがある日でした。進捗がないのは大問題ですが。

VRの話をいろいろしましたが、その中でtwitterでしづらい、個人的な話を少し書いておきます。

 

VRの話…に限らずいろんなコンテキストで「人間」を前提にした議論を読むことがあります。頭があって。手があって。足がある。

私はその態度がどうしても苦手で。

元々私は人間という生物自体はそんなに好きではなくて。好きなのは人の知性…というか思考、反応、出力、その辺です。

だからそれを忘れることができるこのVRという媒体はとてもありがたくて。そのありがたさを考えるとそんな陳腐なものを前提に入れてしまうことにものすごく違和感があるのです。

その話で言うとVRで性別観念を持ち出してくるのもすごく苦手で。「特徴を持つこと」と「性別」は無関係なんですよ、根本的に。だから、好きにすればいいんですよ。ただそれだけなのに。

一応言うと苦手なのはそういう「観念の押し付け」であって、人の見た目という概念とか性的特徴とかそういうのではないです。私は銀髪でかわいい感じの子が好きです。

で。

真面目そうな議論で、まぁ、現実の身体があり、それとのシンクロ的な、みたいな話がよく行われると思うのですが、その時点でこの「仮想の身体」という概念に対して無礼だと思うんですよ。

私達は何らかの方法でアバターを動かしている、だけ。それで済む話じゃないんですか?その先はなんでもいいじゃないですか。

そう強く思うモチベーションの一つは、ゲームという媒体が与える「主観性」が十分強いから。三人称視点であっても、キャラクターがダメージを受けたら「痛い」のです。私達が。

この人間という生物は、自身のこの「生物的に神経が繋がっている手足」だけでなく、それを介して「制御できていると感じられているもの」も自己だと認識する傾向があります。

だから大事なのは観測可能性・制御可能性であって、「身体」ではない、と、強く願っているのです。私は。そうあってほしいのです。

私達はただ慣れているだけなんですよ、この体に。そして操作方法というのは慣れるものです。そんな話は実際いくらかあります (「視界を反転させても慣れる」話とか、「方位が認識できるようにもなれる」とか)。

結局脳内でニューラルネットが動いてるだけで。学習したらなんでも適合できる。わかりやすい話じゃないですか。

VRはこれまでの媒体よりも単に圧倒的に次元の高い入力と出力が行えているだけ。それを身体性と呼ぶ人もいるのかもしれませんが、その言葉自体にnegativeな気持ちがあってね…。

 

この、そうあってほしい、というのは確かに私の願いでしかないから、あんまり強く言えなくて。

でも抽象的にモノを考えるという意識としては、まぁ身体なんていう意味わからんものよりも可観測可制御のほうがモデル化しやすいわけで。

立場としては合理的だと自分で思うのだけど、その立場がちょっと自分の願いが入りすぎてて認めにくいなって思う、そんな話でした。


 

ずっと昔に考えたことですが、VRChatのアバターは「理想的な性」という概念を持っていると思っているんです。いわゆる現実のなんとやら、とは一切無関係に。

それは別にVRChatによって始まったことではなく、昔からイラスト系では自由だったかと思いますけれども。

でもね、VRChatで「自己」としてそれを獲得できるようになったことで、救われた人たちがたくさん居ると思うんですよね。

まぁそれは素直な「気づき」で済む話がほとんどでしょうけど、それ以上に強く救われている人も居ると思うんですよ。

だからこの「曖昧さ」を大切にしてほしいなって思うんです。私は。

 

なんでもいいのなら、その概念はなくなることができるんです。