Twitterに書いてもしょうがない気がするのでだらだらと。
全て個人の感想です。
Unity について
- 発表について
- 少なくとも過剰反応している人は「居る」。
- 読み取れないことを勝手に憶測する人・文章を読み取り間違えて嘘を撒く人
- まぁいつものことである
- 公式発表自体が揺れているっぽいのは事実。
- つまりUnity自体がちょっと怪しいのも事実。
- Fee 体系がやばいという話と Unity の信頼がやばいという話は別。
- (この文章は「Fee 体系がやばい」「Unity の信頼がやばい」とは書いていません)
- 10% は多い。
- Unityが見えている10%と、私達が見えている ("夢見たい") 10% が一致しているのかはわからない。
- でも感覚になんらかの齟齬があるのは事実だと思う。
- 少なくとも過剰反応している人は「居る」。
- Runtime Fee について
- 結局最大の問題は「どうやって検知するか?」というところ。
- これが不透明であるなら疑念はどうしても消えない
- どうしてこうなったかの経緯や意図もわからないのでそういう点はなんとも言えない。
- し、何も言うべきではないと思う。
- 結局最大の問題は「どうやって検知するか?」というところ。
- 信頼について
- まず、個人的には、プロダクトは他のエンジンよりもちゃんと良いもの、だと思う。
- 不満があるということと矛盾はしないです。
- で、信頼という言葉を使うのなら「他の企業は信頼ができるのか?」ということを考えなければならない。
- そして、当然「自作エンジンは信頼ができるのか?」ということも考えなければならない。
- この「信頼」という言葉が指しているのは違うものではあるけれど、繋がっているものではある。
- その上で Unity を捨てるなら、まぁそれはそういう選択なんだと思う。おかしくはない。
- 「抗議」をするなら、それはまだ信頼していたいっていう意味ですよね。
- まず、個人的には、プロダクトは他のエンジンよりもちゃんと良いもの、だと思う。
他環境について
- 設計の筋がきちんと通っていて、納得があり、何が出来て何が出来ないのかがわかるのが良いモノ、だと私は思う。
- その点において UE と C++ はどっちも無い。
- Unity は少なくともやるべきことは明らかかなって思う。何故なら何も無いので。
- Godot はぱっと見た感じ嫌いじゃなかった。いい子なんだと思う。
ソフトウェア開発の気持ちとしては「レガシーを捨てる」っていうのは成長のために必要な要素で、それが無い場所に成長はないと思っている。
Unity はレガシーを捨てようとして悪戦苦闘している。Epic はそんな雰囲気はない。その時点でエンジニアリングの観点からは Epic に信頼がない。私は。
頑張ろうとしていること自体が評価できるわけではないけど、UE ほどのしんどいレガシーを Unity は抱えてないと思う。私はずっと Rotator が気に食わない。あと Character とかも。
あと C++ を勉強する価値は…あるけど、あるけど、実用する価値はあんまりないと思う、本当に。それよりは C をやったほうがいいかもしれない。
module も concept も遅すぎたよ…。overload だけでもう何ページ文章が書けるんだかって感じじゃない。いや、名前解決だけで…。
C++ という言語が存在する価値は大きくあるんだけど、実用はまた別の話だと思う。じゃあ実用で何を使うか、っていうと選びにくいのが現状ではあるんですけどね…。
でもわざわざ必要の無い地獄に行かなくても良い。消極的に行くならわかるし、まぁ私も結局そうなっている。
まぁ好きじゃなくても使う、っていうのは全然わかる話。世の中は不幸で出来ている。
あと、独自エンジン派はまぁ勝手にやればいいと思うけど、その結果自分がどれほどのなにかの上に立っていたのかを知るんだろうなと思います。
エンジン移行もそんな簡単にできる話じゃないと思うよ。思ったより。
その他思うこと
とりあえずみんな煽りすぎだし煽られすぎだと思う。ちゃんと見てちゃんとおかしいならちゃんと抗議すれば良い。SNSで見栄えが良いような抗議をするのは違うだろ。
そういう社会的な追い込みをするのは好きではない。SNSは本当に「その辺の人」が強者になりすぎる。そういう暴力ではなく、明確な論理で対話してほしい。
まぁもちろんUnityが対話に出てこいというのが大前提ですが。それはそう。
出てこないからと言って「はい信頼失いましたー!」とか言うのは小学生か?みたいな話じゃん。
ところで。
ところで建設的な話として platform dependenceがアレという話で言うなら independent にアプリケーションを構築する手段を考える人が居そうなものだけど本当に誰も居ないのかしら そうなってない現開発界隈はなんだか永遠に不幸の再生産をしていると思ってしまうけど
— phi16 (@phi16_) 2023年9月14日
まぁいろいろ難しいのはもちろんわかる。だって不思議フォーマット FBX を今の今まで引き摺っているんだぜ。やっとそろそろ解放されるかもしれないっていう段階。
でもこれは「難しいことをやらなければならないのでは」という話だ。単なるstaticなデータだけではなくbehaviourもデータ化しないと本当の可搬性を表現できない。
みんな万物が可搬であってほしいだろ?
…いや、まぁそうじゃないのは現状のエンジン依存を見ると明らかなんですけど。できるわけがない、というのもそうなんですけど。
全てが可搬である必要はないが、可搬なサブセットを作ることはできるはずだ。
そしてそのサブセット内で十分な表現力を達成することはできるはずだ。
この辺の考えに関しては Web 系がやっぱりいちばん強いと思う。標準化っていう意味でもそう。
ゲーム系の人間がそういうことを考えることに期待するべきではまぁないんだろうな。
プログラミング言語界隈で昔から DSL っていう概念は盛んだけれど、何故かあんまり一般に広まる感じがしない不思議。
これは機能ではなく概念で、即ちもっと広く適用できる話なのだけど、人類には意外と難しいものだったりするのかしら。
「物事を記述するには適切な言語を使おう」というだけの話なんだが。
まぁ自然言語1つしか知らない大多数の人間には酷なのかもしれない。
まーいいやこの話は。
ちょっと今回の話題はそこそこキレてます。説明しない Unity もアレだけど、主には過剰なネガキャンをする人間に。
というかなんでUnityが評価されてないのか本当によくわからん。いや正確に言うとUEが評価されている理由がわからん。
いやわかるけど、それで評価するのは「見た目で判断している」ようにしか見えなくて、まぁ本当にそうなんだと思うけど、それに納得がいかない。
もしも本当に世の中の開発者がみんな easy を選ぶというのなら、ソフトウェア開発という文化そのものが死んでるっていう話になると思う。
そしてそうじゃないと思うから。だからわからん。分母が開発者じゃないっていうのはわかるけどな。
ゲーム開発者はエンジニアじゃないのかもしれない。まぁそれもそうか…。
まぁはい。世の中がいい感じに発展してくれることを祈っています。
私はUnityが好きだけど、まぁ別にどこ行っても大丈夫なつもりではありますよ。
おわり。