Imaginantia

思ったことを書きます

日記 0323

きょうはーおだやかな感じで。

ちょっと一人ぶいちゃをしました。溜まっていたワールド巡り分をね。

これの話なわけですが、まぁ別に嫌いとかではないんですよもちろん。ようやるなぁという印象です。

「表現を言い訳にしている」というのは「道具によって表現手法を選択している」という意味で、まぁこれは今までの歴史そのものです。多分あーいうパーティクルが出せるブラシがあるからあーいう感じになって。あーいうテクスチャが気軽に使えるからあーいうテクスチャを気軽に使うのです。

要は「建築」です。基礎材を組み合わせて絵にする。結果として出来た絵はたしかに「絵」として振る舞う。良いことです。特に3次元の絵ですからね、まぁ新しい部分が無いわけでもないです。

ただこれってすべて表現技法の話なんですよね。表現したいモノじゃなくて。

彼処に在った題材はどれも「既に在るもの」が多かったように思えます。絵画の延長線、というか。そこにはまぁパーティクルなりなんなりで色々と「空気」を作っていて「現実には有り得ない光景」ではあるんですが、それはまぁ表現の範疇で。

「表現したいモノ」は「知っているモノ」だった、ような気がするのです。抽象じゃないしな。

…私は「VRアート」という語に期待を持ちすぎなのかもしれませんね。Virtual-Realityとしてのアート、という側面に於いてはぶいちゃのたくさんあるワールド群ほどそれらしいものもないのではないでしょうか。現実の実質性として私達は「存在」しています。

こういうところの言うVRというのは手段としてのVRであり、まぁ所謂VRゴーグルです。またはTiltBrushでもいいですよ。本質的に同じ意味です。

私はなんかこう、「知っているモノから外れた領域」が見たくて、そしてそれはまだ沢山あることがわかっていて。でもそういうのはやっぱりこういうところにはないなって思った。

"New Place" という語は「高々VRChatの範疇」に思えた。…っていうのが元々のツイートの意味ですが。

知らないけどね。何も。

表現技法も閾値を超えると未知となりますが、まぁ「名前」がついちゃってますからね…。

それに対してな、ぶいちゃのワールドには「名前」はないからね。Unityくらいかしら。その自由度はまだまだ未知数です。

ぶいちゃの多くのワールドは「観るため」だけじゃなくて「過ごすため」に設計されていることが多いと思うんですよ。それって面白いことじゃないですか。

VRAAの名前の由来はまぁ的を得ていると思っているのです。むしろあの辺の領域の人たちが、ですかね。

これまでの所謂「VR」の世界との最大の違いはそこなのでしょうかね。そうかもね。まぁあの美術館、はそれに近いものでしょうね。

名前がほしいなとは思ってしまいますが、名前を付けると「名前が付いてしまう」ので、当分は「ぶいちゃのワールド」がいいんだろうとは思っています。


 

そんなこんなしながら今日が終わりましたが…。

明日は明日って感じでいきます。はい。

では。おやすみなさい。