Imaginantia

思ったことを書きます

雑記240303 コメ返

phi16.hatenablog.com

想定していたよりも外に届いてしまったみたいです。でも思ったよりも反論は少なかった (細かい話は色々あるけど)。

いくつかコメントを頂いていた ので、また勝手に面白そうな話題を抽出して勝手に喋る回をやります。

タイトルからわかる通り、この (this) 記事はそんなに広まることを想定したものではありません (だからと言って何か意図があるわけではないが)。

VRゲームについて

nkawai “特に「VRゲーム」というジャンルが死に体 (に見える) ” VRチャットとかやってる人たちは、VRのゲームは、既に終わっていると考えている。日本でVRのゲームがほとんど出てこないのはそういうことなんだろうか?

tattyu VR体験するとどうしてもシングルゲームでもメタバースとかOWな要素を求めてしまうけど、実際には狭い箱に押し込められる様なゲームばっかりで狭さを実感してしまう。。。ゲームって狭いんだなって感じる。

これは的を射ている且つ興味深い話題で、確かに私はほぼVRゲームをやっていません。いくつか (Rez Infinite, Beat Saber, Thumper, TO THE TOP, スペチャン, Budget Cuts, HL:A, その他) はやってますが「VRゲームとして」はハマってません。

この「VRゲームとして」というのは結構面白いポイントで、ゲームとしては好きなんですよ。だけどそれぞれやってることが全然違うし与えられる体験が別物なのでこれらを「VRゲーム」というジャンルで括る意味が無いんですね。普通にゲーム (interactiveな、具体的に行動を促される媒体) として楽しいです。

ゲームの表現技法が進化していくようにVRゲームの表現技法もまた進化していっているところなのは疑う余地がありませんが、だからと言ってそれは「VRゲーム」としての技法ではなく「ゲーム」の技法だと思うのです。

何が言いたいかというと、「VRゲーム」それ自体はプラットフォームの名前でしかないということです。「PS5ゲーム」と同じ括りなのです。

 

「何故こうなってしまったのか」という問いを考えたいところですが、ここには2つ前提があります:

  • VRゲーム」は面白くないと考えられている。
  • VR」は私は面白いと思っている。

まぁどちらも納得行くものでしょう。前者は「ただのプラットフォームに面白さも何もない」、後者は「私はゲーム以外の目的にVRの価値が出ていると思っている」という話です。

で、どうしてこうなったかという話で言うと、「VRをデバイスだと思っていたから」だと思います。つまり正しく「新しい入出力装置のこと」だと思っていた。そしてそれは当たり前です。

確かに、プレイヤーの視界を塞いで全方向に自由な映像を投影できる!手の位置・頭の位置を使ってアクションさせることができる!とても魅力的です。

しかしゲームというのは古から「1ボタン」「上下左右」で十分面白かったのです。だからゲームの面白さそれ自体はここ (デバイス) から出てくるものではありません。

特にVRバイスはゲームに向いてないデバイスで、例えば即時入力をする方法がボタンしかありません。これはつまり従来のゲームのインタフェースと何も変わってない (それどころか厳しい) ということです。だいたいメニューとかのコンテンツ以外の用途に使われるし。

ゲームにおける即時入力の重要性はまぁいろんなゲームをやる方ならわかると思いますが、だからこの時点で「話が違う」となるはずなんですよね。ジェスチャ入力では操作精度に限界がある。

 

「メニューに使われる」という現象はある意味で本質的で、これは「ボタンはVR世界に存在するはずがないから」→「世界に存在しないもの (メタレベルの存在) に対応させる」という自然な発想です。

だけどこれは従来のゲームの発想である「プレイヤーには (コントローラを介して) 不思議な能力が備わっている (ことになっている)」というやり方とは逆です。従来のゲームで近い存在としては Wii とかがありますね。人のナマの動きをなんとか取ろうとしている。

でもその WiiキラーコンテンツWii Sports であったように、そういうデバイスによる遊びって多分「手を動かすことによるゲーム体験」が楽しかったんじゃなくて、それを介したコミュニケーションが結局のところ一番面白かったんじゃなかったかって思います。

知らんけどね。でも私は実際それが楽しかったよ。ボウリングの球後ろに投げたりさ。

その延長線を考えれば、確かにそういう「何らかの媒体を介した些細なコミュニケーション」というものが、VRだと有利なんじゃないか、って思えるはずです。

そこが結局VRChatが楽しい理由だと思うし、そこがVRの面白いところだと私はずっと思っています。

 

そうなるともうじゃあ「面白いコンテンツ」なんていらないんじゃないか、ってなるかもしれません。でも私はまだ先があると思っています。

VRというプラットフォームの上に乗った「VRSNS」というプラットフォームは、それ単体が「新しい媒体」になる程の能力があります。これは言わば「ゲームジャンル」なのです。

シューティングという基盤に乗ったFPSという基盤に乗ったバトロワというジャンルがあるように、パズルに乗った落ち物パズルに乗ったテトリスの派生ゲームがたくさんあるように、汎用的な基盤の上には「さらに面白さを特化した体験のジャンル」が乗るのです。

言うまでもなく、VRSNS上にあるたくさんのワールドはその「VRSNS性」を活用した面白さをderiveします。その引き出し方はまだたくさんあるはずです。

分かる通り「VRゲーム」と「VRSNS上のゲームワールド」は別物なわけです。家庭用ゲームと遊園地でみんなで遊ぶためのアトラクションが違うように。それぞれに良さがある

そして、私個人はVRSNS上のワールド媒体の先がもっと見てみたいと思うから、こっちを注視しています。そんな感じですね。

 

そして、これは「VRゲーム」にも言えることです。

VRゲームという外枠に乗っかるだけでは面白さがなくて。何か作りたい、大切なコアみたいなものがあった上で、それを表現するのに「VRが最適である」となる、且つプレイヤーもそれを感じられるような体験をつくれたら、それはとても良い「VRゲーム」になることと思います。

そしてそういうものが市場を埋め尽くすようになったら、きっとジャンルとして生き残れるようになるのです。

 

一つ面白そうな個人的な解釈として、「VRによって不気味の谷を越えてしまったのではないか」と思っていて。普通にコミュニケーションができるほどに没入感が出てきてしまって、従来の「なんやかんやで魔法が使えます」というゲーム的ご都合主義が使えなくなってしまった (正確には、使うと面白みが減る) ように思えます。

つまり「私達はただの人である」ことを認めた上で、それでも、というコンテンツであるべきなのかなって。そういう「ちゃんとしたゲーム」の方向性はまだ残っている気がします。作るのが大変だから。

AIについて

flowing_chocolate 『作れる人がいない。やりたいことをやる為に必要なモノが多すぎて、それをわかっている人がいない。』/作るところはAIで作れるようになる?その膨大なデータ量どうするの?という話が出てきそうな気もする。  

peppers_white ここら辺の問題はフルダイブでも起こりうると思っている(特に小石に夢中になって目の前のイベントに気づかないこと)あとはAIで量を傘増しは手段であって手法ではないのでやっぱ下の下よね今のところ  

yooo_gooo AI搭載ゴーグルが出たら一気に加速すると思う。text2VRで妄想の世界が作れるようになったら楽しそう  

casa1908 読んで思ったけど、すべてを人の手で作るのは無理がある気がする。そう言う意味では、AIとか自動生成の比重が高いローグライクとかと意外と相性がいいのではないかと思った。ゲームエンジン作りが大変そうだが。  

nakamura-kenichi 今までの手法は「ポリゴンとマテリアルからGPUパワーでブリブリと空間を生成する」やったで、最高峰のNVIDIAとUE5な未来やったけど、OpenAIが新しいマイルストーン刻んだからなあ。これから先は全く新しい解釈が要るやで。

言いたいことは分かります。文意も意図も発想もわかります。

が、私はAIによって本質的な問題が解決するとは思っていません。というかそう主張しているつもりだったんですが、なかなか伝わらないようです。

概ね2番目の方と同じ主張ですが、AIで「量」を作り出すことはできても「筋」を作り出すのは結局人間で。

そして筋が大切なのです。大事なものが大事なところにあり、そうでないときには無いように、「筋を表現する力」が。

今はもういろんな創作界隈が「そういう時期」になってきたように思います。実は昔からそうだったはずなんだけどね。

AIがそこまでできるようになる未来を私は否定しませんが、「量産されるもの」はただそれだけの理由で面白くないと言われるはずなので、結局はどこか違うところを目指して人間が世界を広げていくんじゃないかな。

それまでもAIがやりはじめることになったら…どうかな。たぶんその頃にはコンテンツに対する態度がまるっきり変わってそう。

筋じゃない部分はもっと量産化できるようにならざるを得ないのかなとは思います。でもそれでいいんです。例えばゲームエンジンみんなで作ってもしょうがないし、コンパイラ作ってもしょうがないでしょ。

その辺をAIとうまく共作できるようになるとすごく捗るんでしょうけどね。まぁそういうことになるのかな、とりあえず仮でそれっぽくしてもらって人が細かく直すっていうフロー。ちゃんと直すフェーズを遂行できれば、それはそれで理想的かも。

 

「妄想をそのまま表現できる」みたいなのはそれだけ聞くと理想的なんですが、実際に出てくるものは「想像力の限界」になってしまうんでしょうね。この感覚はモノ作ったことある人ならわかるでしょう。

一瞬で考えきれる範囲なんて大したことなくて、それを時間掛けてじっくり濃密にしていく必要があるわけ。それはそれで、現実が見えて良いかもしれませんけどね。次にやるべきことも明白になる。

ORGANISMについて

akanama “今重要なのは「要素要素で他媒体を越える」ことではなく、「作品に筋が通っていること」” … わかる。そして現在のVR体験でもっとも筋が通っているのはVRChatのワールド『organism』だと思う。

で、「では何が筋なのか」という話題です。ここはもう個人差あると思ったので丁寧には書かなかったんですが、ORGANISMは個人的にもある意味で面白い対象だったのでここに書いておきます。いままで感想書いたことないんじゃないかな。

結論から言うと、「VR空間としては筋が通っているかもしれないが、ワールドとしては面白くない」というのが私の見方です。つまり「好みではない」でした。

空間が不思議に繋がっていることそれ自体はいいんです。全体にテーマがあることもわかります。だけど「匂わせが主で答えない」態度、そしてそこから繋がる「私達の存在を世界が認識していない」態度があんまり好きじゃない。

そっけないじゃないですか。それが好きっていうのも理解できますけど。

つまり「体験として筋が通っている」かっていうとそうじゃないと思うんですよね。そこには「一貫性」はあるけど、体験それ自体を司る芯、軸、コアみたいなものは存在していない。正確には「存在しているとおもってはならない」。

あると思っているのなら、それは体験者の主観の中だけです。一応言うと、そういう作品の在り方を否定するわけじゃない。そういうものだ、というだけ。

「ちょっと曲がり角を進むと全然違う世界が広がっている」というのは確かに劇的に見えるかもしれないけど、それはコンテキストを切断する行為です。空間として繋がっていても世界として繋がっていない。切り取られた本のページみたい。

まぁライブ系で急に別世界が出てくるよりは潔いですけどね。世界を切り替えるコストは低いのだから、その劇的さを適切に示すにはそこに努力が、コンテキストがなければならない。見える形で。

私はもっと寄り添ってくれる、人々のことを認識し受け入れてくれる「世界」が好きかな。

ちなみにこれは言葉遊びじゃないから、「こんにちは、なんとかさん」って呼んでくれるキャラが居ればいいとかそういうことではない。どうやらこういうところがわからない人がまだまだ居るみたいなので、良い世界が出来てくるまでには時間が掛かりそうですね。

 

あの世界には動くようなギミックがほぼ無いから、そういう意味で安心して探索できる、っていう話はもちろんあると思うんですよね。だからこそこれは「空間」ではあるのです。対してちょっとでも動くものがあると、全てを疑わなきゃいけなくなる。

だからこういう空間は「世界の深さをユークリッド空間に埋め込む」ことになる。…ちゃんとわかりやすい言い方にしたかったんですが私はこれ以外を知らないです。要は縦横奥行きを使って「世界の深さ」を表現しなきゃいけないってこと。

そうすると深さの限度が空間構造 (\mathbb{R}^3) に支配されることになる。それがなんだか勿体ない気がして、私はそうじゃない世界表現のほうが「先」があるんじゃないかなって思っています。

はい。

おわり

またなんか思うことあったら書くとおもいます。でも最近のもやもやは結構解消できたかな。