ました。
折角なので文章を書いておきます。
元々は「日々があまりにも変わらずに過ぎていくことへの危機感から」だったと思います。この頃は制作しているものも無くてただなんだか無為に時間が過ぎていっていたような感覚があった。
それで…「過ごす日」を定義しようとしたのです。つまりちゃんと無じゃなかったと言いたい、その自覚をしたいというわけです。
そして、同時に、「公開する媒体」であるという側面から、「自分の考えていることを言語化する」ということを行うべきだろう、ということで色々と長い文章を書いたりしました。ました。
実際それは長いことうまくいっていたなぁと思います。
ある程度までは。
最近だいぶ日記としての質が落ちているのは、概ねなんやかんやになっているからです。正確に言うと、作業等によって日記を書く時間が減っていること、そして作業によって日記に書けることが減っていること。
Amebientのときは見ての通り全てを書ける期間だったので、ちゃんとその日の記録ができていました。そう。
が、まぁ、いろいろとね。いろいろとあるとなかなか自由に書くわけにはいかなくて。
「突然ばーんって出すコンテンツの是非」みたいなのはAmebientでも言いましたが…。まぁ。少なくとも私のアレではないから。
って言って期待させたらよくないんですね。期待しないでください。ただ在るだけですから。
そしてまぁ、もう一つ理由は当然あって。
一日が減っているからですね。
一応残念ながらギリギリ生を得た人類の一人なので…。その生という業を背負わなければならないんですね。
結局はAmebientはそういう意味では異常な時間が取れる最後の時期だったのだろうし。そういう気持ちではあったと思います。
と言いつつこれで終われるわけはないので色々やっていきますけどね…。そんなに悪いルートでもないんですよ、今。
少なくとも今の所全て正解を引き当ててると思う。あとはこれからを祈るのみです。
ちゃんと強く願わなければね。
というわけでフェードアウト気味、というところではあるんですが、実際元々今日で日記は終えるつもりではありました。
単に一年は区切りがいいですからね。これも含めて私はタイトルに年を入れてなかったので。最初から。
こうして「私という存在の一年」が媒体として残ったというのはとても嬉しいことです。欠けることなく周期は閉じました。循環の完成です。
昔から度々思っていたこととして、「一年経つと哲学がわりと変わっている」というものがありました。でも当然覚えてるわけはなくて。
でもこうやって残すと比較ができます。変わってません。いえ。理解が深化したというのがきっと正しいのでしょう。
多分ずっとそうだったんだと思います。変化ではない。一貫した考えの下、多分ずっと存在しています。
それこそ The Witness を最初にプレイしたときから変わってないのかもしれないけどね。
とは言え言語化されるものではないアレ。しかし言語化しないと実在しないアレ。そんなこと言ってるのもずっと前から変わらないですね。
…でもそういえば、ぶいちゃ1年の記事を考えると結構変わったと言えそうだな、と思った。今。
「好きなものに『成る』」性質、色々と昔の私の行動に当てはまっているんですが (私の視力が悪いのは実はこれのせい)、今はその欲求がほぼ無い…ような気がします。
まぁ理由は明らかでもあって。達成されてしまったんですよね。幽狐ちゃんと。ルと。Nellちゃんもその一つになった。
代わりになんだか「遍在欲」または「非実在欲」はそこそこ出てきたみたいですけどね。おもしろいね。
対して「無が好き」の方は深化があって、これの真の意味は「偏ってないものが好き」だったのかもな、と思っています。ここでの偏りというのは願いの代償の話です。一資源一消費、対等な対価、結果に対する適切な報酬、全てに意味が備わっている。その解釈範囲は多分年々広がっていて、今は…まぁ至るところかな。これもまだ広がるのかもしれないけど。
つまり打ち消し合った結果として残る「無が好き」ということだったのだと思います。だからまぁ、これに関しては変わってはいないんですね。そうね。
日記関係ないなこの話。まぁ文章媒体に残すと観察が出来て面白いねという話です。
そういえば日記のよくない話として、文章校正をする癖が減ったというものがありました。
これはめちゃくちゃ自覚的です。日記の文章、どんどん筋が通らなくなっていっています。思いつきで書いてるから。
それが日記だ、という自分への甘えからではあってそれ自体は良いと思うんですが、この「癖」が通常の文章にも多少影響しちゃっているのが良くなかった。
ちゃんと構成立てる癖が無くなった。昔はなんかやれていたと思うんですけどね、多分…。無意識にせよ。
日記を書かないことで復活するのかはよくわかりませんが、まぁそれも経過観察できそうではあるね。
全体的に私は自分を使って実験してるだけ、みたいなものです。ちゃんと一年続けられるとは正直思ってなかったし。
残念ながらちゃんと振り返られる時間は無いのだけど (多すぎでは?) まぁいつかやってみたら面白いなという気持ちもありますね…。
それこそ毎日対応する日を見るくらいは出来るな。それいいな。一年前の私と一緒に生活できるのね。
でもまぁ言語化されてない領域は結構あるんですけどね、勿論。一応 Amebient AdC では結構ちゃんと書いているとは思うけど。
それこそ今の私は敢えて文章に書いていないことが結構あるので。それは制約からなのだけど。まぁいつか語る日が来るんでしょうか。
その非対称性もまた面白いといえば面白い。やっぱり一年前の私は他人ですから。うむ。
そんなところですね。
いろいろやっていきたいのは山々なんですが、まぁ、いろいろやるのでアレで。
なんか急にワールド制作やりはじめたりはするかもしれないし。同時にKinoいじりもしたいし。
…少なくとも今はある程度やれる希望のある状況です。多分。
そのうちいろいろ元気にやりはじめると思います。そういう点では一年前と良く似ているね…。
まぁ。ついったーに居るかどうかは正直よくわかんないけど。少なくとも私はどこかに存在しています。
いつか誰かが私の作ったものを楽しんでくれたらそれ以上のことはありません。
やりたいことやっていきます。よろしくおねがいします。