現在インターネットは大騒ぎしているようです。私は作業していて喋る余裕無くてちょうどいいな~と思ってたんですがなんかそれでもまた置いておくかと思ったので置いておくことにします (つまり負けました)。
見れば見るほどに私 (のような人達) の方向性から世界は遠ざかっていくな~と思うのでそういう点においては私は全然気にしていません。
が、「じゃあ何だったの?」という言い回しに対しては気になるところがあるので、書くことを思いつきました。
ものをつくるという行為はとても複合的で。その…いや、かなりむずかしいな。タイトルからわかるように私は「選ぶ」という行為の話につなげたいのですが。
初心者って、最初って、選べないんですよ。そこにあるものが何なのかすらわからないから。つくるものを選べない。この言い方はちょうどいいかも。
モデリングをとりあえず球から始めるとか。単色赤を使ってしまうとか。プログラムの設計もそう。フォントもそう。アニメーションカーブもそう。
だけどそこを潜っていくことで「何があるのか」がわかるようになって、そしていつかそれらの中から「選ぶ」ときが来るのですね。
世間的にはこう言われてるけど今回はこれが適している。ここで敢えてこうすることで印象付ける。自分はこういうのが好きだからこれを使う。
そうなっていくと、つまり、「ものづくり」は「作ること」よりも「選ぶこと」のほうが重くなっていくのです。
いや、「作る」には「選ぶ」が含まれてるんですけど。こう、ここに語彙がないですね。何故なら…大小あれど、私達の行為は全て「選ぶ」ことですから。
考えることは選ぶこと。やり直しをすることは選ぶこと。一本の線を引くときにも無数の選択を続けていく。
そういう意味では私達は常に選択と共にあって、そしてそこには階層構造があります。
ディレクターが選び、デザイナーが選び、そして細かい作業者もまた選んでいくのです。
だから作品というものはだいたいそうやって…広い目で見たときの「選択」や狭い目で見たときの「選択」が、絡み合っているのです。そしてそれが面白かったりする。私は。「全てが説明できる」と面白いなって思う*1。私は。
そういう意味では現在の流れは「上流工程を体験する」…もとい、「上流工程だけでものがつくれる」ようになった、という状況なのだと思います。
本来は下流工程を経てだんだん上流に上げていくことができるようになるもので。いや、最初は下流の下流…からすら始まらないかもしれないけど。
で、"面白いものができた"ことになっている。
が、そこには当然、下流における「選択」が介在していないのですね。やってないから。
代わりにそこにあるのは「人類の平均的な選択」です。そしてこれは上流の選択と「絡んでいない」のです。
ね。
という意味で相対的に気になるのは、いわゆる実写映画とか、まぁ写真とかで。これらも上流側の選択をやる創作です。このあたりがいわゆるインターネット創作界隈との乖離の原因なのではないか?
つまりそこにあるのは「世界」で、それは君の物じゃない。そういう話だと思う。
もともとは世界は選べないものだったから、そこはまだ上流ではなかった。けれど、今は選べるようになってしまったから、その下が存在するのですね。
私は何が言いたいのかというと、CGはこれからもずっと面白いと思う、っていう話です。全てを選べるから。
終わり。
*1:何故なら、説明不要なものは引けばいいから