Imaginantia

思ったことを書きます

日記 0424

どんどん次の日にシフトしているのよくないですね。そのうち昨日とか書き始めますよこれ。

 

りふさんとわたさんのとこ、ほんとうにありがとうございました。まぁ書くこととしてはわたさんについてしかないよな。

いや、こう、ちょっとだけreflexさんを恨んでいる部分が無いことも無いんですが、それはそのうち答え合わせをすることになるんじゃないかな…

ああやって「例が増える」ということそのものが何よりも嬉しいですよね。そうして文化が形成されていくのだと思うので。

私にはあの先にはいけなかったけど、どこかで開かれることもあるのかもしれない。

 

終わったときは本当にいろいろとごちゃまぜになっていたんですが、少し時間を取った結果いろいろとわかったことがありました。

本当にいろんな感情がごちゃまぜだったっぽかった。対象が数人居たんですよね。だから丁寧に一個ずつ見ていった結果、まぁ、もう一度戻っても大丈夫だろう、という結論になりました。

見たかったので。

なんかああやってこっそりいるのが私としてはそれらしい行動だったのではないかと思っています。バレるのも含めて私らしかったんだと思う。

はー。

在ったもの、に関しては…。どうだろう。なんだろうね。

某プレゼンドの方で私がすごい「嬉しかった」のは、照明がなくなったことでした。それは技術的側面もあるんでしょうけど、構造的には「照明の再解釈としての光の筋」っていうのが綺麗だと思って。

つまり歪んだ空間としての側面ですよね。解釈によって空間の有り様を変える。いや、有り様は変わっていないのだけど、表層を変える。

それは「文脈」がないと出来ないことです。そして、それに関してはそう、だと思った。これはもっとよく出来るとかいう話ではないので。

対してあそこはりふさんの色をわりと出しているのかなと思っていた…けどどうなんでしょ。まぁ自ずとあの色になるのもわかりはする。

それこそドを引いてきたと考えれば自然ですけどね。まぁそれも大きな側面でしょうか。

 

そういえばこれは… 

すごい平たく言うと「動かないものが動く」という点で。ただ実際にはあれは「動くものが増える」方でした。壁面のディスプレイのことです。

まぁ元々「いつかやりたいこと」の方向性は空間そのものから違うのでアレですけどね。でもああいう形態を取る可能性もあった。

要は「空間の解放」です。エンディングは近かった。まぁ。

あと

これは

完全に言ってくれてアレ。言葉を考えるのは難しいですね。いえ、まぁこれに関しては私は当事者ではないんで仕方ないんですが…

ある意味ではずるいわけですが、これは「GCではなく」「わたさんだから」出来た側面があると思った…し、多分そう思われているような気がする。しらんけど。

シェーダを触った人間は概ねわかると思いますが、比較的異常なものはわりと容易に作れることがあります。視界ジャックとか。

だからその「期待される異常」には選択の余地があるということです。GCはそれを選択しなかった…というか出来なかったよね。質感が違うから。

こういう場でああいう風に現れることが、きっと良かったんだと思う。「正しい」って言っちゃうとなんか未来が決まってるみたいでアレなのだけど。まぁ「正しくない」があるだけか。

全て私個人が思っただけの話ですけどね。当事者ではない個人が。

 

いつか答え合わせはしたいですね。全てが終わったら。たくさんの人たちと。


 

昨日、一度落ちたあと作業しなきゃな、って思ったんだけど本当に何も出来なくて。なんか今やってる作業は必要なのかなとか思ってしまった。

でもまぁ、今の所「私と同じ哲学の人間」は一度も見たことが無いので。多分意味はあるんでしょう。

…いや、まぁ、再現可能性を否定はできないんですけどね…。それこそ、なんだよな。

でも完全な「私」である必要はないんよね。成分として、能力としてな。結局そういう話なんだと思う。

頭を動かすのはいつだって楽しいですけど、そろそろその対価を認識しないといけないかもしれない…。

いやでもそれが嫌だからこうやってるんだよな。はー。

まぁ元気にやっていきますよ。いつか全力を出したいね。

では。