Imaginantia

思ったことを書きます

記録 Synを見ました

www.tokyonode.jp

これです。28日に行ってきました。

写真これしか撮ってなかった。

結論から言うと私はすごく好きでした。というか「私好み」でした。

以下、記録として視たものについて記しておきます。知りたくない方は観てから読んでください。

 

私はだいたいどんな作品も「構造」(骨組み、みたいな意味合い) で読もうとするところがあります。ゲームを観察してた影響だと思いますが。

だから「時系列順に出来事が起きるモノ」は、その時点で"そう"読み終えてしまって、まぁ、いつものか、っていう感じがする。

だけど Syn はそうじゃなかったので良かったのです。つまり、あの場所で展示をする意味があり、あのような展示方式にする意味があり、そうなった理由を私達に説明しているのです。

それだけで私はとても満足でした。そういう外側の発想をちゃんと作品化する、というのはなかなか見られないものですから。

 

私は次のように解釈しました:

  • 人々がたくさん入る、動的な・時系列に沿った展示空間を作りたい、という話になる。
  • 同じ場所に居るだけでは面白くないので、人を動かしたい。
  • しかし1グループで構成するとthroughputが低い。
  • よって、複数グループを同時並行で回せる構造を作る必要がある。
  • そうなった場合、次グループ・前グループがうっかり見えてしまう可能性があり、そうすると没入感が損なわれる。
  • しかし、これを逆手に取り、「次/前グループが見えること」そのものを演出に組み込むことで世界の境界を広げ、閉じることができる。
  • その為に、私達は「過去の私達」を認識する必要があった。これによって次グループの存在がスムーズに認識できるようになる。
  • それを合理化する為に、逆再生が必要だった。

つまり、まず Syn の没入感 (Immersion) とは、「あの空間」に対する没入ではなく「このメタ構造を識っている」という没入を狙っているのだと思ったのです。

過去に何が起きているかわかる。未来で何が起きるかわかる、という、世界そのものに自己がascendするような感覚。

もちろんこれが正しい演出意図かどうかは知りませんが、それはまぁどうでもよくて、私はこう認識し、それが私には嬉しかったというだけの話です。

 

この芯 (Syn?) だけでは作品にはならないので、実現するための肉付けがとてもたくさん入っています。それが「演出」。

始まりの部屋と終わりの部屋はタイミング同期の為に必要です。特に始まりの部屋はチュートリアル (ダンサーがこれくらいの行動を行うことを予め知らせておく) でもあるので大事です。あとモニタに展示空間全体の3Dモデルが映してあって「これからここに行きますよー」っていう提示もやっていましたね。デカ映像が色々映ってはいましたが、これは次の部屋の始まりと接続するための最後のぐにょぐにょちゃんを引っ張ってくるのが目的だったのかな?

終わりの部屋はクールダウンが主な目的だと思っています。CUE で体感したんですが、前の演出がなんであれ、その後に大人しくなると「前の演出が激しかった」という相対的認識が発生して「良かった」という感情が起きやすい気がします。

メイン部屋は大きく3パートの構成になっているのかな?最初に縦長キューブをモチーフとして記憶させ、道具と人で演出するパートが入り、最後に全ての種明かしみたいな展開が入る。

種明かしっぽいことをするのはなんか Rhizomatiks っぽくて良かったです。まぁ元の意図としてもその必要があるということにはなるはずですが。

だからメインパートの前半には「観客に演出を記憶させる」為に動いているように見えるところがちょこちょこあって。1つ気になったのは照明がめちゃくちゃゲーミング色になってたところ。あともう1つ、「パンパン」音が鳴ったときの壁が海モチーフっぽくて妙に具体的だったところ。

ゲーミングにするんだ~へ~って思っていたところ、この部分が逆再生の結果そこそこ見返すことになっていたので、「見た覚えある!」っていうのを強調する意図があったのかなって思いました。

あとパンパン音が鳴るときの壁は、こっち側でもあっち側でも多分同じ映像が流れていた気がします。具体性を上げることで記憶しやすくさせて、さらに音と映像をつなげることで強制的に既視感を与える。

そうなってくるとだんだん「私は何を見たのか?」が気になってきて、意識がメタレベルへ昇華していく、という構造です。そういえば途中で3D効果が消失するところも、「あ、これが本当の世界か」と一瞬冷めさせて、戻して「じゃあこっちは何の世界 ?」っていう意識の切り替えを促していたようにも思います。

中間あたりで扉が開いたとき、奥に「前のグループ」の観客が居たのが観えました。アレは未来の私達を見せる意図だったのかなと。最後にその伏線回収をやって、見えなかったあの続きが視えて、終わり。

まぁ、納得できる意味づけです。私にとっては。

 

あと最後の部屋は「観えなくても視える」をやりたかった感じはします。丁寧な観察をさせるには盛り上がっちゃうパートだと難しいので (特に人が居るとそっちに目が行くので難しい)、人を抜き、さらに肉眼では観えないけれど認識を与えることで視えるようになるモノを置き、穏やかに観察してもらう時間。

クールダウンとしても適切で。ここは素直な部屋だったと思います。

 

じゃあこの「私達はパズルをこう解きました発表会」が展示の目的だったかというと当然そんなことはないと思います。結局はこれは作品を成り立たせる為の構造を作品自体に埋め込んだというだけの話で、見方はまぁなんでもいいのでしょう。各々が面白いと感じればそれで。

中途半端に解釈がありそうで無い物語性をつけちゃったりすると私はめちゃくちゃ冷めちゃうタイプなので、そういうところには諦めが最初からあったように観えて (最初の部屋、色々表示されては居ますが本当に何かあるわけではないじゃないですか、アレ) よかったなあって思います。

正確には、まぁそういうのがあったとしても、そこが本意ではないと私が認識できる程度の芯がちゃんとあったので、私はそれを満足とした、という意味ですね。

まとめると、とてもおもしろかったです。