「データ」は、使い方がなければ「なにでもない」。「暗号文」がそうであるように。
だから「データ」が「存在する」というためには、「データ」に対する「操作」が必要である。
「操作」は「データ」を別の「何か」と関連付けるコト。即ち、ここで必要とされているのは「データと何かの関係性」である。
「まずモノがあって関連する」のは現実だけの話で、もっと普遍的な世界に対する態度としては「関連性がモノを形作る」が正当ということになる。
だから「空間があると機能が生まれる」のは現実だけの話で、「機能が発生して初めて空間と呼ぶことができる」。
例えば「足し算と掛け算がある実数」という認識ではまだ「空間」を成していなくて、そこに代数的構造を、距離構造を認識することで初めて空間に「見える」ようになる。
- モノが関連性を作るのではなく、関連性がモノを定義する
- 空間の中で操作をするのではなく、操作が空間を成す
「私達が空間に居る」のか?と考えると、そうではないことになる。「空間がある」、のではなく、まず「私達が在る」。
という話は、実際のところ随分前から指摘されている、と思うけれど。