Imaginantia

思ったことを書きます

日記 230629

特に脈絡もなく、そういえばと思った小さな話を書きます。

  • 「結び目」を動かして指定された形をつくるパズルゲームです。
    • ここで「結び目」とは、円 S^1ユークリッド空間 \mathbb{R}^3 への埋め込みを指します。
    • つまり両端がくっついた紐のことです。
  • 壁にいくつかヒントが彫ってあるので、困ったら「読んで」みてください。
    • 試行錯誤なく解けるようにはしました。ちょっと大変ですが。

 

…Knot Puzzle に書いたこの文章、もしかしたら想定した以上に読まれてないんですか?

いえ、真実はわからないんですけどね。ただ、なんだかね。

もちろんここでの焦点は2行目です。

ここで「結び目」とは、円 S^1ユークリッド空間 \mathbb{R}^3 への埋め込みを指します。

私はこれが「読めない」ことはわかって書いています。

だから、即座に次の行で簡潔に意味を示しているのです。

つまり両端がくっついた紐のことです。

この言い方は特に情報の欠損がここで起きていないことを指していて。つまり2行目の代わりに3行目を読めば良いのです。ただそれだけです。

 

が、意外とこれをやらない人が多いのでしょうか、もしかして。

今更ながら、ここの文を「私の意図通りに」 (↑に記したように) 読めた人は見たことがないです。そういえば。

ただ、こういう書き方は、(知識の話ではなく) 数学をやっていると一般的な感じがします。そこに不思議な乖離があるのかなと思いました。

S^1 が何か知っているとかそういう意味のない話ではなくて。数学の文章を読むにはどうしても読めないまま次に進むことを要求されるという話です。

 

多くの数学の文章は「定義が先」「その詳細が後」になっていると思います。優しい文章はそのさらに前に「何故こんなことをしようとしたか」の補足が入りますが、それだけ読めばいい世界ではないです。

で、定義は往々にしてよくわからないものです。わからないんですよ。

だけど、その性質を理解するについれてするっと馴染むような、そういうものなのです。

だからとりあえず定義は受け入れて、後で何度も何度も反芻する、という読み方が一般的ではないか、と私は思います。

これを文章を読むときの前提におくと、「なんだか意味がわからない文章でもとりあえず一旦認識して頭に入れる」ということを行えることになります。

だから最初に記したような箇条書きは、2行目に惑わされずに3行目を読むことができます。

 

実際読めないだろうと思ったから、要は英語を読み飛ばすように、3行目を読んでくれるかなって思ってたんです。

誤算はどこなんでしょうね。「中途半端に読めてしまう」ことが問題なのかしら。

でもこういう「途中まで読んで諦めること」に関する揶揄は結構あった覚えもあって (テスト問題で一番最後に「上記は全部無視すること」って書いてあるやつありましたよね) そういう態度は一般的なのかと思っていました。

つまり「とりあえず全体を俯瞰すべきである」と。

 

こんなことを観察するたびに「そういう話題を試されるワールド」を作りたくなりますが、まぁそれは数年先の話かな…。

とりあえずこれはこれで学びでした。多分一瞬で読めるタイプの人も居るので、傾向でしかないとは思いますが。

はい。

きょうのにっきはおしまい。まぁもうちょっと頻度は増やしてみようかなと思います。

おわり。