今日は作業をしました。予定通りです。わいわい。
あとそういえばなんか書いたんでした。
文章としてはちゃんと持っていくために色々書いてはいるんですが、このきっかけは…某Mallです。
「実在しないディティール」だけが多く見えて私は悲しかった。ただそれだけです。
それを現実にする、なら私はそんなに否定しないでしょう。ただこの文章の書き方は、現実でないことを認識しながら、即ち諦めの感情が入りながら、書かれたものに見えるので。
その感情に無意識であろうとも。
私達はその非実在性を認識しうる。
ほんとね。酷な話なんだけどね…。
久々にああいう文章書きましたけど、だいぶ楽しかったですね。
文章、書こうとすると自分の中で完結しちゃって外に出さなくなってしまう。今回は中途半端な感情で留めておいたので外に出すことができました。
「『困難を分割する』という呪い」っていうのも書こうと思ってた。でもこれは自分の中で答えが出ちゃってね。タイトルから推測しておいてください。
結論は意味を持たないので、それに至る過程を説明しなければいけません。そのために始まりの文脈から書く必要があるわけですが、これによってある種のサブリミナルを与えることが出来ている気がします。
洗脳的でよくないと思わないでもないですが、それで私の望む世界が来るならいいかなと思う点もある。
そういえばタイトルもダブルミーニング的でいいんですよね。「せ」は「私の行動」に見えるんですけど、実際は「誰か (善くない人) の行動」を指してるっていう…。ずるいね。ずるいということをわかってやりました。
この文章は全体的に洗脳っぽいと思います。事実と憶測をごちゃ混ぜにする感じが。だから受け手はそれに悩むべきです。多分。
ずるいなマジで。
結局一番私が望んでいることは「発生している歪みに誰もが気づくこと」なのです。だから私を踏み台にすることでその先の歪みを見せようとしているんだと思う。
人類全員が「事実」を認識できたらいいのにね。まぁ、事実もまた観測上なわけで。
思想、いいですよね。私は度々思想を言語化できないことを感じていますが、それはそのまま正しいんだろうな。それは一生かけて表現するべきものなのでしょう。
ゆっくり進めていきたいですね。私という個を。
そういえば今日某会場を回ったりもしたけど、そこで思ったことが。
私はインディーゲームが好きなつもりだったんだけど、そうじゃなかった。
インディーゲーム特有の、異常な思想の表現を見るのが好きだったんです。多分。いえ確実に。
何よりも別にこれはゲーム関係ないんですね。その点についてもずっと一貫していたんだと思う。
「思想の表現」が主とされる媒体、ないんですよね。…いや、音楽が一番それに近いんだろうか。
私はなんでやってないんだろうね。そういう道だったから、というだけなのだけど。
いや、寧ろ「読めない」ことへの後ろめたさみたいなのもあったのかもね。能力がないので。
まぁ、ちゃんとね。ちゃんとやりたいね。ただそれだけです。
はい。私は明日もおでかけです。
明日は頭を回す時間になるのかな。ちょっとわからない。まぁなるように。
生きていきましょう。
では。おやすみなさい。
— phi16 (@phi16_) 2021年4月29日