定期的に思うので書いたほうが楽だと思いました。「価値」みたいなものについて。
あれです。きっかけは最近一瞬話題になったやつです。
まぁ画像はどうでもいいとして、運営さんがやってらっしゃるnoteがなんとも面白かったです。
これはこれに対する言及でした。
人類 (特定語) の「考察してみました」みたいなの、尽く「浅い」のでどうにか考察というのはどういうものか学んで来てから宣ってほしい
— phi16 (@phi16_) 2023年2月28日
が、なんかもっと「根深い話」な気がしてきました。「何故 (普遍的に) 人はそんなことをやろうとしてしまうのか」と。
この人は、「何が良いのか」についてを語らない傾向がある、ように見えました。
例えば上の note で挙げられている動画では確かに「スマホで3Dソーシャルを活用できる」のは確かなのでしょうが、では何故「3Dソーシャルが良いのか」について語らないのでしょうか。
直下に「リッチな表現が可能になる」と言っていますが、では何故「リッチな表現が良い」のでしょうか。
ここで言う「良さ」とは、ある意味では人を惹き付ける力です。良いものに人は惹かれる傾向にあります。価値のあるものには人が来ます。
経済というのは根本的には価値の交換だと思っていますが、まぁ、人がお金を払うということはそこに価値があるからで。金銭について考えたい大勢の人々はもちろんそういう「価値」についてよく考えていると思っているんですけど。
なのに何故「良い」ことについては深く考察せずに「現象の解釈」程度で留まってしまうんでしょうか。
これは例えば「表現力が低い」と堂々と書けてしまうという態度につながっていると思います。何故なら、私達 VRSNS に居る人間が「良さ」を感じているのは表現力だと思うので。
でもこの「良さを明確に価値に変える」という要素は実際のところ昔からうまくいっていない事柄だったような気もしてきました。
つまり良いものを作っている人たちはお金を「対価として」受け取ることが概ねできていない、できない、のです。多分。
だから代わりに広告を出し。グッズを展開し。円盤を売る。
素直に見ればとても歪んだ構造に見えます。「鑑賞チケットを購入する」よりも、「見たら対価としてお金を払う」という姿勢の方が素直ではあるはずなんです。
でもそれはなんだか「良さ」を台無しにしているような気もするんです。何故なら交換してしまうから。手元から対応する価値が失われるから。
だから、それを避けるべく、少しズラす。作品鑑賞に払うのではなく作品の鑑賞権に払い、所有権に払い、そして例えば人を応援するために払います。
でもなんだか私は現代の人々で "わかっている人" は、ちゃんと作品自体に何かを支払いたいと思っているケースがあると思うんですよね。円盤買うのはほぼそんな雰囲気だと思っているんですが…。
世の中の歪みはさらにひどく、例えば無料サービスが蔓延っている現状として代わりに私たちは「広告を見る義務」を負わされています。negative を negative で打ち消すわけです。
でもこれについても、やっぱり広告の見せ方というのはもっとちゃんとあるんではないか、という話になるはずで、例えばいわゆる「案件」文化は良いものだな、と思っています。
要は「良いもの」は伝統的に「それ自体に支払いが発生しない」為に「ズレた方法で価値の平衡を促している」。が、それについて現代は少しずつ「正しい価値交換を目指す」方向を向いている気がします。
でもそれだけになるには全然足りないんですよね。作り手の内部ではもちろんまともな価値交換が行われているんでしょうけど、受け手はどうしても受け手であるが故にそういうポイントについて無自覚です。
現代が無責任に快適すぎた、ということですね。
で、話を戻すと、確かにああいう人たちの「金銭を得る」という目的に際しては「良さ」を度外視する姿勢はまぁ間違ってないのかもしれんな、と思いました。
そうすると「人を操りお金を集める」方向に行きたくなるんでしょう。まぁ実際それは効果的だと思います。そしてそういうレッテルが貼られるのもまぁしょうがないでしょう。
まぁ考えてみれば私は「広告」が金銭平衡化手法として成立している現状を正直ちゃんと理解しているかというとそうでもないので、まぁ世の中は意外とそんなもんでしかない、ということなんだと思います。
いわゆるクリエイターというものは概ねそんなことよりも「良いものを作りたい」という気持ちで動いていると思います (まぁ生活基盤は第一ですが)。
だから当然クリエイターコミュニティと金銭に興味があるコミュニティは根底の行動理念で合わない部分があることになりそうです。現にそうだと思います。
VRChatの (大凡の) コミュニティは価値交換の健全化について長いこと腐心されて現在も改善されてるところだと思います。それがいいです。
まぁ根本的な VRChat 自体への価値返還が進んでいないのはどうにも VRChat さんへ願うところでありますが…。
さて、で、結局「良さを生み出す行動」をどう価値に変えられるかというと…。難しいですね。人類は永遠に解決できないのかもしれない。
価値を交換するシステムそのものの難しいところな気がするので…。
まぁ例えば「感想を書く行為」は良さへの返答としての価値交換だと思います。それは一番良い方向だと思います。
でもきっとそれだけじゃ足りないんですよね。何かが。
私はただ「面白いものが見たい」という気持ちだけで色々やってるんですが一般的にはどうなんでしょうね。
生活基盤がどうにかなれば十分、という話ではないような気もするんですよね、これ。結局そこにグラデーションがあるから。
報われの形態が金銭 (普遍的通貨) である必然性はあるのかな、まあ。
本当にすべてが等価交換で済んだらきっと何も気にしなくていいんですけどね。でも私達人間は無から「良さ」を生み出せてしまう。その「良さ」が本当に価値になるのかどうかは、交換しないとわからない…。
全ての根底はここです。
まぁ人がこれまで得てきたものによってそれが出てきている、という考えもある。その時間差によって発生した価値の差分。でも人によって異なるという部分もあって難しい。
はて。
まあとりあえず、「良い」ことと「金銭的価値があること」は切り離して考えるほうが常に良いな、とはおもいました。
私は良いものが好きです。