Imaginantia

思ったことを書きます

日記 0502

今日は作業のための準備をしました。つまり作業をしました。むずかしいところね。

作業というのはまず始めるのが難しいというのはみなさん周知のところかと思いますが、私は最近やっと諦めるようになってきました。

闇雲に何かをやろうとしてもダメなので、まず現状を知らなければというやつです。

というわけで今日は「前向きな整理」をしていました。一人でぶいちゃに居るのは結構いいものです。ほんと。

 

んー…なんか書きたいような書きたくないような。

そういえばふと思い出した。

私は…自分の発言の意味を、ある程度、わかっているつもりです。どう受け取られるかを。

例えば「喋らないこと」も自身の発言です。私が「想定されるべき振る舞いをしない」ということは色んな示唆を生んでしまいます。

だから想定外の認識が生まれないように、どう振る舞うべきかはいろいろ考えてる気持ち。なのです。無意識半分ですが。

…で、その結果として、私は「嘘をつけるようになってしまった」のかもしれません。ということをなんとなく思いました。

つまり「嘘をつきたくない」が故に「自身の発言に敏感になった」結果として「嘘をつけるようになってしまった」という。

能力を得たとて行使するかは当然別の話ですが、まぁしてないとは言い切れんわな…。

考えてみれば「想定外の認識が生まれない」即ち「私の想定通りの認識を創出する」というのはその時点で「嘘」的なのです。作られた事実という意味で。

観測上の現実という意味ではまぁ私は自己を好きなように変容させてる部分はあるんでしょうね。ずっと嘘をついている。

まぁ、私はそれを含めて動いてるから、その行為を自分で肯定しているんでしょうけど…。

…っていう文章を含めて。

思わせぶりではありますが、特に明らかなきっかけとかはありません。いつもどおり自分について考えていただけです。

ということになっています。

 

発言の意味なんて結局誰もわからないんだよな、ということも思った。

私は「自分の意思」に従って行動しているつもりですが、それは言語化されないもの、即ち他人に伝わらないものです。

私の判断基準も結局普遍的ではないということも最近よくわかった。つまり芸術家に近づいているということですね。嘘です。

どっち、なんだろうね。私がズレているのか、誰かがズレているのか。まぁ大衆が正義だ。

私は「何故か狭間に実在する人」だと思っています。つまり大衆でありながら、極端でありたい。存在しない場所に居たい。

それが実際にできているかどうかは、まぁ、そのうちわかることなんでしょう…。

自信、無いんですよね。どっちの向きも。私は大多数の人間の気はよくわからない気がするし、私程度の視界じゃあ全然足りないと思ってる。

ということになっている。

こういうのを観るのにめちゃくちゃいいのは「自身に近い存在と対話すること」です。偶におはぎさんとそういう対話をしている気がします。

逆であるからこそ近い。

対話が出来ているというその事実は疑いがないもので。すると同等性から自身を測ることができる。

つまり自己肯定をするのは難しいから間に他者を挟もうという話ですね。そうだね。

それでも完全には信じられないのが人間って感じですけどね。

 

いろいろ言いつつも原因はよくわかっているんです。結果がないことです。

何が視えてても、何がわかっていても、それが表現されていなければ無いも同じ。

何より私は正常な言語を記述しないことが多いので。この日記もきっと意味がわからないものであろうからに。

今でこそAmebientはめちゃくちゃ自信持ててる気がするけど当時はどうかなどうかなってなってたもんね…。

人、人ねー…。一部はよくても新たな部分がどうかはわからない。

何であろうと結局「作って出す」以外に解決はないわね…。


 

あしたは作業。コードを書ける程度にはなりたいな。

過去の私の制作量おかしいなって度々思います。でもまぁはまるとそうなるんだよなというのは実感はあります。

制御できるものではないのが難点。

まぁ明日はまだ観察がいくらか含まれているとは思います。そのうちはじまったらいいな…っていって長い時間が経っているんだよな。

そろそろ走り始めてほしいね。

では。

おやすみなさい。