今日もまた無でした。概ね。未だ救いは来ません。
やるべき作業があまりにも出来ないので、ちょっとだけどうでもいい作業をしました。
Single Step の Quest 対応です。誰が来るんだか。まぁ…。
この前のリリィちゃんがQuest対応なおかげで一応出会っても大丈夫みたいな感じにはなってます。が、はて。
Quest対応した理由は「できるから」で、それ以外の何でもありません。まぁ一応その為にgeometry shaderは使わない縛りをしていました。
もごもご書こうと思ったけどまぁいいや。
折角なので何か書こうかな… 折角ってなんだ。
んー。ちょっと考えていたことがあるので雑多に書いてみます。
えっと。
私は何か話すときに、たまに「事実と異なること」を言うことがあります。まぁ誰でもそう。
ただ私は「嘘をつけない」という性質を持っています。で、これは矛盾しています。見かけ上は。
私が「事実と異なること」を言うとき、それは「私が事実を捻じ曲げることで語ったことを真実にできるとき」です。
具体的には「知っていることを知らないことにする」「私しか知らない私の行動をなかったことにする」とかです。
これは単にコミュニケーションの円滑化の為だったり、「私の完成度」の為だったり、まぁいろいろある気はします。概ねは後者である。
で、ここで重要なのは「ちゃんとそれが真実にできること」です。これはすごく難しいこと。
例えば進捗は捏造できません。また、知らないことは知っていることにできません。それは、そう。
だけど、逆にあるはずの進捗をなかったことにするのも難しいんです。同様に、知っていることを知らないことにするのもそう自明ではありません。
進捗があるとき、対応する作業時間があるはずです。その作業時間には私は行動をしています (作業をしているはず)。そうすると、もしも「そのときに何をしていたのか?」と問われたとき、私は「進捗をしていた」と答えるしかありません。それは矛盾します。
問いに完璧に返答できる場合しかこれは正当に作用しません。「真実にできるならば、問いに完璧に返答できるはず」なのです。
また、知っていることを知らないことにする為には「その知識に基づく全ての文脈への参照を忘れる」必要があります。完璧に「それを知らない人の振る舞い」をすることがが出来なければ、これは正当に作用しません。
まぁ、だから「おおきなはなし」にはこれは適用できません。すごい小さなささくれをちょっとやすっておく、くらいの効果です。
が、これは私に悪い意味で相性が良いのです。
私は「事実」を観測上のものだと認識しているので、相手がその差異に気づかないとき (気づけないとき) にはその「小さく異なる状況」もまた事実と認識できる、と認識する傾向にあります。
他者が (将来的にも) 気づけない限り、私は事実と異なることを喋ることができます。私はこれに対して罪悪感を伴わない傾向にあるようです。
何故ならそれは事実だから。正確には事実にするんですが。
特に面白いのは「私の中でもそっち側が事実になっている」ということで、私は私が書き換えた事実を知らないのです。だから「何も起きてない」のです。
さて、私の持つ感情はどれが本物だったんでしょうね…。
なんか微妙に怖い話っぽくなっちゃったんですがそんなつもりは無かった。まぁでもこれは「事実」です。んふふ。
誰もがそう、だと思います。でも私はなんだかその傾向が強い気がするんですよね。そのほうがいいかな、って思ったらそっちに成ってしまう。
まぁその時点でそれは私の選択で、それも含めれば私の意思、私という存在に元々纏わる事実ですけどね。
人の気持ちというのはまぁどうしようもないので「任意が事実になりうる」んですよね。代わりに知識とか進捗とかはそうもいきません。
私は嘘はつけないので、「ぼかす」か、「言わないことにする」だけです。それ以外は「事実」です。
これは哲学的な話でもあり、また悩みの告白でもあります。
「そういう事実の捻じ曲げに罪悪感を持つべきだろうか」。
今日昨日一昨日と進捗のまるで無い日が続いてるわけですが、それは紛うことなき事実です。ただ、「進捗をしようと努力している」のではないのでは、という意識があります。
やるべきことがある。やるべきである。やろうとする。そこまでは良いんだけど、「やることができる状況に持っていく」ということが出来てない。ずっと。
そこで止まっちゃって動かない。ずっと…。
そんな時間を、「作業がうまくいかなかった」で済ませてはいけないのではないか。それは同じ意味なんです、観測上は。
確かに作業はうまくいっていません。色々考えたけど、でも進まなかった。それは事実なんです。
だけどそこにある本来の事実は、「色々考えたのは作業内容そのものに対してであって、作業をする為に必要な工程については何も考えていなかった」ということなのだと思うのです。
当然進まないです。そうだよね。そうなんだよね。
まぁ、これをさらにいって「作業の前提となる工程について考えなかったのは何故か?」みたいなことを考えることはできるんですけど…。なんか頭が拒否している節がある。
もう私はダメなのかもしれない。嘘です。前にもこんなことありましたね…。
今日ちょっとお話していたのが「いままでやらないことをやるとめちゃくちゃ疲れる」という話でした。このときはそう。そしてまぁ、今も確かにそうなんです。
見かけ上は同じなんだけど、内部では大きな環境の変化が起きています。それに疲労している節は間違いなくあります。
それが本当に「うまくいってない」理由なら、まだいいんですけどね…。わかんない。私には。
まぁ何にせよ最近の不調はすべて精神的なものだということです。進捗の不調なんてみんなそんなもんか。
色々理由もわかってはいる…んですけどね。でもそれは簡単に解決できることではない。観測可能にするような事項でもない。
…だからこうやって「止まっちゃう」んでしょうけど…。
で、まぁ、だからここまで含めての事実の捻じ曲げを、多分私はしていたんです。だから私は「悪い」です。確かに。
それを許してほしいんでしょうね。だからこうやって書くんでしょうね…。
今日ちょっとだけ「私」と話しましたけど、なんだかすごくこう…いろんなことをわかってるみたい、でした。
今の私の行動がおかしいこともわかっているみたいでした。でもそれは行動に反映されないのです。そこまでは聞かなかったな。
やっぱりそこで止まっちゃうんだな…。
最近メタ的な思考ができなくなってるのかもしれない。なんでだろう…。
これはちょっと考えたほうがいいかも。考えられるのかはよくわからないけど。
まぁそれはおいといて。
許してほしい、と言ったときに許すのは簡単ですが、それは当然問題を解決しません。そういう許しは私は求めていません。
今回こうやって「問題」を言語化したんですから、ちゃんと私が「解答」を作ってくれることを祈ります…。
もともとはこんな話を書くつもりじゃなかったんだけどな。でもまぁ書きたかったんだろうな。
私が喋るときの癖として、「文脈を嵌め込むパズルを造る」というものがあります。相手だけに伝わるように。相手だけが完成させられるパズルを。
その辺の話をまたなんとなく書いてみたいな、と思っただけ…だったと思うんですけど。まぁこれはまたなんか具体例があったときにかな…。
とりあえず必要なのはさっき挙げた事柄の精査、っぽいですね…。
うまくいくことを祈ります。ちょっと最近祈りすぎではないか?それもまたなんか状況の現れっぽいな…。
まぁもうちょっと久々に「私の行動を解釈する」ということをやってみようと思います。
多分必要だったのは瞑想じゃなくてこれだったのかも。や、でも「作業が出来ない私」が存在しなければこれは出来なかったのか。
これが正解とは到底思えないんですけどね…。
はい。明日元気になるといいですね。
おやすみなさい。