今日はちょっと作業をしました。何も終わりはしなかったが。そんな気はしてた。
頭に残っていることがない、というのはまぁ割とよくある状況で、そして唐突に頭に何か出てくるというのがとてもよくある状況です。
困りますねほんと。
最近めっちゃ疲れてるんかな、それで作業できてないんかな、とふと思ったんですが、別にそんなことはなく、別の何かをやっているからなんだと思います。
つかれてるのは多分事実ですけど。いろいろ開発環境が微妙だったりとね…。
あ、あと最近ぶいちゃ行ってないからな。まぁ主にそれだと思う。
今日やっていた作業はまだまだ終わらないと思うので、明日もぶいちゃには行けなそうです。明後日分のアレということにしましょう。
まぁ、イベントよりも日常を過ごしたい気持ちではありますけどね…
なんか書くことあったかな。
そういえば何度か書こうと思って書き忘れていたこと。
「私は何かを考えている、ように見せかけているときは多くあるが、そのほとんどは『何も考えてないだけ』です。だけど、それが一番『考えて思いつくべきこと』を発想させるのになんだかんだ向いていることが経験的にわかっているような気がします。すなわち、私は何も考えてないんですが、それは外側から見たら何か考えていることと区別がつかないのです。ならば、何も考えてないこの私というのは、何かを考えているんでしょうか。」
結構不思議なのよね。私と話したことある人はわかると思うんですが、偶に私は「止まる」ことがあります。何かについて考えているということになって止まっているわけですけど、私自身はなんか頭をぐりぐり巡らせたりとかしている意識はないのです。本当に。
で、その時間が一定過ぎると「何も問題ないだろう」という気持ちになる。実際それは信頼性が結構あるように見えます。体験的にね。
これは問題がないと言えば問題がないんですが、まぁ再現性のある工程ではないというのがちょっとした気になる点ですね。網羅的に考える方法自体はもちろん知っているとは言え、通常の思考法がそうではないみたいなのです。そしてそれは論理とかそういうレベルではない。
なので私は自分が何を考えているのかよくわかりません。「精査」とかしているときの話ね。もっと直接的な領域はいろいろ考えているのは自覚しています。
多くの場合困らないんですが、最近は「精査の工程を人に伝える」必要が少しだけあって、言語化できなくて困っていました。という話。
そういえば。
もうちょっと雑についったーしようとおもうんですが、さっき考えていたことが、一般に服は着れば着るほどかわいいのは全人類ご存知かと思いますが、その解釈としてはその「多さ」は直接文脈の多さであり、物語性の発言であるからに関係性としてのかわいさが向上するから、ということがあるとおもいまし
— phi16 (@phi16_) 2021年4月21日
文章の精査 (これは論理的なプロセスですね) をしないとこういう感じになるらしいです、私。話が飛ぶ、っていうのは同時に色々思うものが多すぎるということの裏返しですね。
とはいえこれは整理をした後なのでマシな方だったんですけどね…。
最近 (そうでもない) はちゃんと人に伝わる文章にしようと思って細やかさを心がけているつもりではあるんですがどうなんでしょう。
いや、まぁついったーがどうのこうのっていう時点でまず間違ってるんだよな。
一応ついったーも「重みを持った世界」なので (というか私の主な生存世界) 一応「意識」はしてはいるんですよ。生存性の。
でももうちょっと緩めてもいいと思った。
ちなみに脳内ついったーにいろいろ書いたりすることはある。というか上に書いた内容はその一つだったとおもう。だから外に出ないんですよね。
けーたいを取り出すのは面倒でね…。
直接話すのが一番楽よねまぁ。重みはまたあるわけですけど。
はて…。
ねます。
明日はつづきからー。では。
おやすみなさい。