なんだか今日は体調が微妙です。おそとに出たので疲れたみたい。
本当にその疲労が直接的に体調不良に繋がってるのだとしたらめちゃくちゃやばい気もします。外出れるんかこんなんで。
花粉がアレなアレはそこそこあります。しんどいね。
そのせいもあって今日は久々に進捗の無い日でした。DDGすら途中までしか出来なかった。
頭痛はほんと頭を使う作業には厳しいですね…。労ってあげてほしい。はやく寝ろ。
なんか書こうかなという題材で「日常と非日常」の話をそういえば…。
私達は今「日常」を過ごしています。それがどんな姿であれ、それは日常です。
だけどある時「非日常」に出逢うことがある。その、日常では会えなかったはずの何かに。会わないと思っていたものに。
それが善いことであることは本当に多いのだけど、悪いものであることが稀にあります。
それに出会わなければと思っても、その非日常性から予測は出来ないもので。
それに付き合っていかなければならない。これからずっと。永遠に。
知識というのは本当に怖いものです。知らなければよかったのにね。
私はあんまり記憶領域のコントロールが出来ないタイプなので色々と思い出したり思い出さなかったり、いろいろですが…
結構そういう「ふとした瞬間の非日常」って物凄く残ってしまって。悪いものが。
まぁ緊急地震速報とかもそうですよね…。
そういうものはどんどん増えていって、思い返す度に強くなって、まぁなんかずっとこのままなんだろうなぁと受け入れるしかない感じになってます。
それが増えた瞬間ってなんかわかるんですよね。非日常に踏み込んでしまったことが。もう戻れなくなってしまったことが。未来ずっとこれを思い出すんだろうって。
はー。忘れたいことはたくさんあります。でもそのうちのいくつかは私が起こしたことでもあって… そっちは受け入れるとしても外的なものは忘れたいわね。
夢って怖くてね。そういう領域が強く出るんでしょうね。私の夢の世界は概ね非日常で出来ている感覚があります。
現世の非日常の記憶を再構成したものと何度も出逢っています。ほんとうのことを書いたことは多分ありませんが。
…はて。何の話したかったのか忘れちゃった…。
まぁあれです。そういう非日常性は本当に「瞬間」に発生していて。私達はそれから逃れられない。
…これは愚痴ですね。何も言えないからこその。
そういえば「異常」はまた違うなと思っています。VRChatの世界にあるのは非日常じゃなくて異常なの。
日常と重ね合わせで、知らないうちにすり替わるような。気づいたら異常に入り込んでいるような。
でもそれはあんまり嫌な事柄ではない気がします。急じゃないから、というのもあるけど… まぁ選択権を持つのは自分なんですよね。
責任を以て選択をし、その反応として異常を得る。とても合理的です。
でも非日常に遭遇したとき、自分は何も持っていないのです…。何も払っていない。その偏りがきっと意識に残り続けているのです。
払っていない代償はどんどん積み上がっていきます。全部憶えています。
これ以上自主的に増やしたくはないと思ってしまいますね…。
なんだか現世のほうがこういうことは多い気がするんですよね。なんでだろう。
もしもそういうことがこっち側の世界で起きにくいのであれば、それは私にとって棲みやすい世界なのかもしれません。
あと題材として「コンセプトの具現化」とかいうのがあったけどこれは…
一応書くか。
まぁ前にAmebientを作ったときに何度か書いていたことで。「この世界では願いは実在しなければならない」。
特に、実在しなければ願いではない。
即ち既存の媒体による安易な手法はここでは通じない、という意味です。
正確には「そう願っている」という意味です。
まず1つ、大きな話として「VRの世界はそれを真実だと思いこむことで密度が上がる」側面があります。多分。
それは実質性という意味で、そうなのだと受け入れることをはじまりにするという意味で。
これは自主的に体験の価値を底上げする行為でもあります。VRChatに居る人達はこれをみんな平然とやっている印象です。
さて、そうすると「この世界は真実的である」ことになるわけです。
ならばそこに虚構などないのです。そこにあるものが正しいのです。interactでボタンが押せるならそれでいいんです。そういう物理法則です。
法則には選択の余地がありますが、作者側の自己中心的な法則選択に対してプレイヤーたちはとても譲歩してくれるように思えます。本当に素晴らしい世界です。
で。
問題は「自己中心的な法則選択」を代償無しにやろうとしているケースです。
概ね全ての物事には2つの側面があるものです。何かを得たなら何かを失わなければなりません。
言葉で「存在」を示すのは簡単です。いる、と言えばいいのです。でもそれは正しく代償を払っていません。
ちゃんと、その存在を明らかにしなければなりません。時間を掛けて。労力を掛けて。その存在性を明らかにしなければ。
そうしないと言葉は軽くなってしまうので。
そしてその払った代償は必ず可視でなければなりません。視えないものは存在しないので。
そう。だからこの「自由に物理法則を構成できる世界」では全てが重くなってしまうのです。そうしなきゃいけないと思うのです。
私達は残念ながらメタ存在ではないので。
…でも既存の媒体と何が大きく違うのか、っていうのはあまりよくわからないんですよね。
文章という媒体であってもその重みは明らかに持っているもので。
だから正直、単にVRChatの全体的な「ゆるさ」なのかもしれないと…思っていたこともありました。
いえ。まぁそれは一部真実なんですが。
でもやっぱりなんか。そういう「絡まった媒体」にはない「純粋性」は見えますよね。それは良いものです。
その純粋性は残念ながら文脈ありきではありますが。とはいえ人そのものがコンテンツなのは確かで。
あー。
わかってしまったかもしれない。
「人が空間に成っている」のか。まぁそうだね…。前にもこれは考えた憶えもあるが。
現世でも似たような現象は度々ありますが、それが顕在化するのがここなんでしょうね。
ということは昔の私の考えは正しかったんだなぁ…。結局実現出来てないけれど。
んー。まぁ正しくはあれど「ワールドを作者を意識せずに回る」人が居るっていうのとちょっと矛盾しているかもな。
いや、まぁ、名前を知らないだけで意識はあるのかもしれない。
私達はツイートをする代わりにワールドを作ることで自己を示しているのです。そう。
結局世界から自分は消せないということね…。まぁそうね…。
自分を消さない代わりに、その「ゆるさ」を認めることができる世界がここなのかもしれませんね。
まぁ、それが意図通りのものかは定かではありませんが…。
…だからコンセプトベースの作品があるとしたら、それは自己が絡んでると解釈でき…していいのかな。かな。しちゃうぞ。
もうほんとそろそろ飽きました。世界を作ってほしいです。物理法則を。
やっぱり外の人たちには良いものは作れないんだなぁと再確認することが多いですね…。
どっちもしんどい話だこれ。まぁしょうがない…。
いつも支離滅裂なことを書いている自覚はあるんですが文章という一次元媒体がよくない。時間が一次元なのもよくない。
目指すものがあれば一次元でも十分なんでしょうけどこういう雑多な記録では本当に広がりが激しいので向かないですね。
あーあ。
まぁ、そろそろ私も「言葉だけを語る人」になってきた頃合いでしょうか。逆にあれから半年経っても類似が無いのは悲しい気もしますが。
まだ信じているんですけどね…。いや、まぁ自分が持っているので信じないわけもないんだが。
や、まぁ、そういう願いとその実現も結局私の個人の思想でしかないのかもしれないですよ。それはそう。
いつかを祈っています…。
こういうことばかり考えられていたらいいのにね。それこそ何かを作ろうとするくらいに。
あぁー…そういえばまだ見てないところで希望があるものがあるのを思い出した…。
某ワールド「わかんなくて」止めてしまったんすよね…。色々確認したつもりなんだけど。でも違う話を見かけるに私が違うらしい。
もしこれが私の「追随力不足」に拠るものであれば、本当に私は終わりです。何か言える立場ではなくなります。
それはそれで望ましいことですが。はて。
長々と書きましたが今日の進捗がないことに変わりはありません。
明日もあまり進捗が出来ない予定ではあるんですが、まぁきっと無ではないはず。何よりも体調が戻ってほしい。
あ。そういえば某で告知が出ましたがまぁそれはまた書きましょう…。
では。おやすみなさい。