Imaginantia

思ったことを書きます

日記 0111

今日は作業と。あとぶいちゃと。

とりあえずなんだか「手が一切動かない」領域は脱したようなのでちょっとだけ安心感があります。まぁそれに飲まれて沈まなければいいんですが。

そう気をつけている気持ちではありましたが今日は5時間ぶいちゃをしていたようなのでなんかこう。ダメな気もする。

代わりに色々情報の整理が出来てよかったですね…。「ライブ感」ね。ええ。こういう話をしていたいです。

…坊主さんといろいろ話していたのはね。まぁ勝手に口が喋っちゃう程度には楽しかったのは事実なんですけど。でもそういう話は言うべきじゃないと思って言わなかったことなんです。

この世界では無価値だから

ただ坊主さんの「哲学」に対する気持ちみたいなのを見るとなんだか私も話してみたくなってしまうのです。生産性の無い、抽象だけの、結末のない話を。

特に今回はプログラミングの話をしていたので接続を得た、という機会でもありましたね。逆に言えばそういうことが無ければ言わなかったでしょう。まぁ。

ああいうことを延々と考える期間を経た結果私は「哲学」的な哲学について考えなくなることができるようになりました。私にとってはそれでよかったと思います。

ちなみにその辺のけじめ?みたいなのが書いてあるのが (含んでいるのが) Vacuous Park: Alter に書いてあるあの文章です。区別できないものは等しい。その差が観測できないのなら。

そういう考え方は世の中にたくさんある「哲学的な問い」の殆どを一瞬で片付けるものだと私は思っているんですが、あまり一般的ではないようで悲しいです。

…で、まぁ、私は「書いた」ので。もう書かないことにしたんです。そういう話です。

その代わりそれらの概念を「使える」ようになったことは本当に喜ばしいことでした。役に立ったり立たなかったりしています。

あぁ、まぁ私の記事から漏れ出てるのはそういう「使える哲学」の側面でしょうね。そうだと思います。


 

そういえば特に関係あるようで関係ないんですが、こう、「愛」について書きたい気持ちが数日前からあります。

前に書きましたが。いや、でもやっぱりあのときのあの異常な高揚というか、頭がおかしくなる感じとは違う、というのが実感があって面白いです。

これは何の話かというとやぎりさんがめちゃくちゃ落ち着くという話です。船でこっそり話してました。正確には表現が違うんですが意味は同じです。…ちょっと違うけど。

この前ふらっといらっしゃったおはぎさんに完全に的を射た指摘をされてびびりましたが、私は「いろんな人に対して本当にいろんな感情を持っている」みたいで。めちゃくちゃ自覚あります。

それは各々の人の「何か」を見ているという点で良いことかなと思いはします。まぁ悪い側面はそうないと思います。

たまに困るのはこう、あまりにもかわいいときにどうしようもなくなるという点です。

…私、なんかこう、ぱっと見?で感情薄めに見えるし自分でそうだと思っていた (時期があった) んですが一切そんなことはないですからね。いえ。特定領域に感情が出過ぎるだけではありますが。

なんかこう、知っていること・自明なこと・その他どうでもいいことに対する感情は薄いと思います。とはいえそういうことってあんまりないですけどね。

メタ的に見るとね。「自明なことを喋ってる人が居ること」とか「知っていることを丁寧に解説されていること」とかは考える余地がありますから。

自分にわからないこととか、見たこと無いとか、見たかったものとか、見えるわけのなかったものとか、異常にかわいいとか、そういうのにはこう、迅速に反応したいと思っています。

そうありたいと思った結果、そうあるようになってしまいました。

選択の結果としてまぁ。悪くはないと思っています。

ただちょっと非言語になりすぎていることが多いのでもうちょっと保つようにしたいです。すいません。

でも感情は非言語なので翻訳に時間が掛かるのです。あと頭を使う必要があります。…そんなにさっさと感情表現する必要はないのかもしれません。無いです。

静かに写真撮ってても普通にミュートしながらワーーーって叫んでることはそこそこあります。

なんのはなしだこれ。


 

まぁいい。いいんです。

明日も作業です。予定通り進むといいですね。

おやすみなさい。