今日です。
聖地巡礼 pic.twitter.com/48AZoyS66C
— phi16 (@phi16_) 2020年12月17日
ある方 (?) と行ってました。ABC全部見てきました。合間に眺めていたら突然出てきてウケた。
この話長いから後でね。
いいワールドだった pic.twitter.com/oSGODdPm5B
— phi16 (@phi16_) 2020年12月17日
本当に良かった。ギミックありきのワールドではあるけどあの空間は抽象化された世界として存在していて、違和感は一切無い。
ちゃんと空間の性質を併せ持っていて、本当に良い。ゲームが恙なく進行するのもすごい。私はこれになりたかった。
物理演算ってずるいんですよね。私達の持つ暗黙的法則を取り出して情報量に変換する装置です。現実の物体の多くはこれをうまく使っているなぁと常々思います。ギアもそうよね。
そのズルさに逆を張りたい私が居るんでアレなんすけどね。まぁでもあの完成度は見習いたいです。
ゲームっぽいのも作ってみたいと思っても永遠にやらないね。まぁ案が無いだけでもある。
「ゲーム」にするような案って結構シビアなもので。制御不能を制御可能にする過程をちゃんと踏ませないといけない。
私が素直に「願い」を叶えると制御可能じゃないものになってしまうのでダメなんすよね。本質的にそういう物を求めてしまっているところはありますが。
自身の限界を越える物を、割と創れる感じがするんです。
…とは言えちょっとした発想をそういえば思い出したんでちょっと後で考えてみよう、と思ったんですけど定義から明らかに重いので作ることにはならないでしょう。
さて。本題です。
私は唯の部外者です。文脈を持たないモノとして、感じたことを書いてみたいと思います。
私は2年前からずっと「評価」に対する様々な感情を持っています。今までは関連する世界ではありましたが、今回初めて完全に分離された世界として解釈することができるのです。
…本来、書いてはいけないものなのかもしれない。だけど私にはその文脈を保つ義務はない…と思う。多分。
順番に行きます。
Seed Awakening
理解の範疇ではあった。これは純粋な「空間表現」だと思う。
ただ世界に構造が入っていない。各々が独立しており、意味を語らない。
その状態で情報量を増やそうとした結果として、全体的な煩雑さに繋がっていると思う。
デザインになっていない、という言い方が素直かもしれない。
TECHNOVINEGAR
正直完璧に先入観が抜けたとは思わないけどまぁ。
最初に「ドリンクを飲んでのトリップ体験を表現」って言われて、「テレビを見ていてください」みたいなことを言われたけどちゃんと見ることができなかった、と思う。
ある動画、くらいの気持ちになっちゃって、その先が気になっちゃってた。
上の作品の続きで見たことであの単色のキューブたちが完全に「ディティールの足りない何か」になっていた。何がしたいのかよくわからない、という状況だったと思う。
ヘッドフォンがうまく嵌ってないこともあって「段々変化していく絵を眺める」様子だった。
解釈するならまぁ「VRでのMV」で妥当なのかもしれないけど、全体的に意味を持たない抽象で出来ていたので重みに欠けていると思う。
SAKEA
「非日常的な体験が多いことに対するアンチテーゼとしてVRショッピング」みたいなこと言ってたのにtheホラーみたいな映像になっててびっくりした。
フォトグラメトリした物体はこっちの世界だと異質なので「日常の導入」にはならないと思う。まぁそれをあのライティングが際立たせているのかもしれないが。
いろいろやると出てくる「指示の矢印」はその中でも安心感があって面白かった。あの矢印が最も「日常的な体験」だった、と思う。
その後物体ぽちぽちするのも不思議で、まずここがどこなのかよくわからない。後から読んだ説明文には「ショッピングモール」と書いてあるものの、あそこまで異なる物体が密集したショーケースは無いのでは…?
解釈はなんだろう…。「ゲームに成りきれなかったシミュレータ」とか?そうね、シミュレータ的要素があったとは思う。
DEATH ETUDE
最初の段階で「ストーリーテリング」がしたかったんだとは思った。情報を含むが解釈の余地を与えない演出、こう、こういう場だと悩ましいわね。
赤い球を撃てって言われているんだけどなんか語り部 (自分) の焦燥感みたいなのがよくわからなくて (私は「自分」の思う行動をしているだけなので) ずっと感情の乖離があった。
鏡って言われた瞬間に何がしたいのかもわかったし、その段階で自分にずっと撃ってたんだけど何も反応が無くて… まぁ弾切れらしいのでしょうがないね。
道を戻るとちょっとだけ具象度が上がっていたけど完全に自身が物語世界から分離されていたので印象はあまり無かった。
最後に謎の存在が謎の疑問を呈している段階で初めて「具象度が上がった理由」を理解したけど、まぁ今回はこれでおしまい。
「物語にも演出にも振り切れない中間」みたいな感じになるのかな。一人称視点であるが故に逆説的に自己と乖離が発生するの、VRの罠って感じでおもしろいですね。
自己認識の本質は「視点」じゃない。「判断」だと思う。だからVRに救いはないんですよね。
T・R・I・P
これは「ゲーム」で良いと思う。それ以上の何かがあるだろうか。
でも逆に言えばゲームと呼べる程度にはちゃんとしてた、と感じた。それは特に私達の行動が既定されているからかもしれない。
VRでの移動は自由すぎてなんでもあり、だけど、この作品は「私達は車を動かすこと」に専念させられる。だから私の意識は其処にある。一個上と対極ね。
そうすると自分の視点の細かいこととかは気にならなくなって、素直に「車と景色」を見る余裕が出来たと思う。
とは言え、良いゲームと言うには判定の曖昧さとか操作性とかは厳しいところかしら…。
流れていく風景を見るだけの作品だと多分きつい、と思うので、そこに軽度のインタラクションとしてゲーム的要素が入っている、というのがとても納得できる。
まぁ「風景を見る」だけだとVRとしての性質があまり無いような気もする。世界に構造がある程度あったのは良い点だけど… ちょっとゲームの方に私は集中しちゃってたかな。
どっちなんでしょうね。
SOS! Back to Taiwan!
これはすごい素直な「体験展示」。科学館とかに置いて有りそうなタイプの類似概念。
ちょっと全体的に誘導が弱いとは思うけど、まぁやりたいことはわからんでもない。
とは言えメイン部分が非言語的だったのであまり「何をやっているのか」という自覚を持てなかった。
本来「体験する」行為にはそういう自覚性は必要なものだと思うけど、科学館的なアレを子供が完全に理解してやってるわけでもないし、まぁ本当に類似物と言えそう。
Contemporary
これは…「映像アーカイブ」かなぁ。動きが記録されている。それが再生されている。
元々のそういう詩的文化とかダンス文化の文脈を私は持ち合わせていないから正直わかんない。
「ご自由に空間を歩き回ってください」みたいに言われたがそれだと詩が読めなくなってしまうんだな。悩ましいね。
背景の木がライトで照らされたりしているのは好き。パーティクルたくさん出ているのは綺麗だね。
詩的空間として見るには「継続した人の存在」が不思議だった。だからやっぱり私にはわからないんだと思う。
それを是とするかどうかは、まぁ別の話。
Fumika / Piano motion capture system
「技術展示」。
ピアノが動いておる。指が動いておる。譜面にマーカーがついて、いろいろわかるようにはなってる。
でもそれは演奏者側の側面であって、これそのものは芸術作品ではない。技術作品としては理解できる。
ただそう捉えると不完全性が出てきて、所謂「ピアノの運指」としての美しさが現れていない、というのを思った。
ピアノの大きさに合わせるためか手が微妙に大きくなっていて (多分) アンバランスだったのもちょっと悲しい。
一番最初に仕組み説明みたいなの出てきたけど、なんか譜面から運指生やしてシミュレートするのは誰かがやっていたような覚えもある…。
Birds of a Scape
これはね、「おもちゃ」。
まず人に体験させるために設計されている。体験させるという意識がめちゃくちゃ強いと思う。
それは真っ当に実現されていて、遊びやすく、理解しやすい。
空間自体はすごい狭いしそれを察知してしまう動きをしているんだけど (速度変化が不連続)、まぁ遊び場ならいいか、という気持ちにはなった。
VRをやってみたい、って言う人が最初に見るに相応しい作品かもしれない。
宇宙人の東京観光
「小学校の動画教材」とか…?あの「わからないだろうから説明してやろう」感に近いものを感じる。
そして当然その目的が叶っていないのも共通ね…。意味を持った文章に意味を見いだせるのは理解を伴った場合だけなんですよ。
特に私の環境は本当に声が聞き取れなくて全然わかんなかったし…。なんというか、なんだろう…。
「これくらいが良いんだろ?」感。
石像をフォトグラメトリしてコピーしたやつが出てくるのはなるほどね、ってなったけど、その後戦闘機は普通に自作モデルっぽくて謎だった。一貫性ほしくない?
NO.23
「挿絵」。そのもの。
見た目はまぁそうなんだけど、機能もそうだと思う。あの世界に存在するものに構造は無かったから。
構造を持たずに動いているモノ、すごい不思議に見えるんですよね…。その不思議さを新しさとして捉えてるのかも知れないけど、結局それは意思が無いことの表現でしかありません。
だから結局は想像性を刺激する役割だけを持っている。そこに「ほんとう」は無い。
逆に言えば「想像を掻き立てる世界の提示」にはなっていると思う。まぁその限界がすぐ見えてしまうことが不幸なのだけど。
New reality - my studio
…なんだろう。わかんない。何も無かったので説明が出来ない。
これは「今の自身」の表現なのかもしれない。説明文を読んでちょっと思った。
まぁそれは所謂「表現」ではなく、漏れ出た現実でしかないのだけど。要はtwitterで「最近これをはじめました」という発言をするのに近い。
テクスチャの質感はアーティスティックだと思えるけれど、この世界での抽象物の質感はなかなか簡単には出てこない…。
円筒という機能を持たない物が、質感を持とうと願う。そんな状況。結局相互作用も何もないからこのままだと個に閉じて終わる。
文脈的ではあるけど「その状況を読む自己の存在を提示する」みたいな話なのかもしれない。知らない。少なくとも無文脈に於いては「無」だと思う。
内と外、バーチャル
「一回やってみたかったこと」とか…?何故人類はホラーにしたがるんだろうか。感情を伴うからか?それが悪であっても?
「孤独と閉塞」は理解できるんだけど、あの激しさがどこから来るものなのかよくわからない。「連鎖する思考」とか?って思ったけど説明文とは合致しないわね。
孤独と共にある恐怖の形はもっと「ゆるやか」で「忍び寄る」タイプだと思う。だからなんかうまく理解できない。
そう考えるとやっぱり「アレが見てみたかった」のではないか、という結論になる。まぁその気持ちならわかる。
物体をスケールするとみょんみょんして楽しいね。サブリミナルやると人は簡単にショックを受ける。そうだね。
gaze on me
これはマジでわかんない。理解の範疇にない。強いて言うなら…いやわからん。
哲学ではない。芸術とも違う。布教でもない。まず表現かどうかが私には判断できない。
芯が見えない。見せようとしてない…わけではないと思う。そうならそういう歪みが見えるはずなので。
純粋に私が持たない何かなのかもしれない…。一番感情を感じられなかったし想起されなかった。
少なくとも半透明物体の描画順に無頓着であることくらいしかわからなかった。
Gravitate
「15年前の情報の教科書」とか?UIという概念を知らないような気がする。
なんかすごい全ての世代が2個くらい前で逆に面白かった。Win98みたいな感じがあった。全てではないが。
結局そこにあったのは在るモノではなく造られたモノだったから、それに対する思考はちゃんと昇華させなければ「今」に適用されない。そういう感じでもなかったから。
没入感は何も生まない。ただ其処に在るだけ。インタラクションは機能を持って始めて存在を得る。
「表現してみました」っていう言い方、すごい恐ろしいなと常に思います。
まぁ、私は全ての「不透明さ・不安定さ」を受け入れた上で現在の「生」を営んでいるわけで、そうなってない人にとっては何かモノがあるのかもしれません。
それこそ昔の「インターネットが危険だと訴える大人」のように。というかそういう人が作ったのかと思ったんだけどそうじゃなくてびびったよ。受け継がれてるんかね。
Displays XR
んー。コンセプトは好きなのよ。ただ別に「新しい姿」はどこにもなかったのよね。
何よりもディスプレイの機能を語っていない。それだとこの世界だと「ポスター」と等価だと思う。
窓でしかないのなら、それは本当に窓でしかなくなってしまう。それで良い世界がここだと私は解釈しているんだけど。
まぁ、そういう点では「ディスプレイ概念の無意味さ」を適切に表現できている、のかもしれない。いや自分で壊しちゃうのはちょっとルール違反かしら。フェアじゃない。
抽象を語ってほしかったんだよな。この世界なんだから。具象を否定するんじゃなくて。まぁこれは私の願いなんだけど。
解釈は「メディアアート」かもしれないね。これが最もそうらしいかも。
The Garden of Eden
なんか説明文がやけに気合入っちゃってるけど、まぁ作品としては「絵」で終わりだと思う。
こういう文脈芸をしようとする場合はちゃんと文脈に乗っ取ってあげないと情報が出ないんすよね…。
あと哲学やってると思いこんでる場合が怖いかな…。問題提起だけするのはアレよ。プラカード持った人よそれ。
ちゃんと解いてあげてほしいな。
まぁそういうのが多いのが芸術分野ではあると思いますけど…。そういう文脈ってこと?
でもそれにしては文章過多で「どっちが作品か」って感じはするわね。
Nether World
「死」、いいですよね~~~~~わかる。
正直今日体験したときだと序盤の序盤までしか行けなかったっぽい。誘導不足…って言いたくはなっちゃう。
意味のない「なんとなく置いたもの」と意味のある「記号」を区別できるように作るのは難しいものでしょうか。
まぁというか一般に「自分」を判断基準に置いてるところありますよね。こういう系の作品全般。
判断基準を持つ者が変化するこの領域、きっと厳しいんだろうな。いや厳しいんですけど。
あんまり作品自体をちゃんと見れたわけではないっぽかったので言及は控えておきます…が、まぁ「自分語りの映像作品」が近いんでしょうか。
その自分が「自分」でなくとも、そう描かれた自分はこの世界では自分自身だと思いますので。
おわり
VRでやる意味ある????????????????????????????????
Birds of a Scape が選ばれるのは正直納得できます。アレはね、人類にとってのnewviewだと思う。
TECHNOVINEGAR単推しな私ですが、まぁできる限り先入観抜いてみるとこうなっちゃうかな…となった。
つまり、まず本当に最高になる為の体験だと思われてない。ギャグでこんな映像出てきそうだよね、みたいな解釈になる。
そしてその解釈は、わりと一貫性を伴う。最初の部屋と演出部分の世界の差がそのままちぐはぐさとして解釈されうる。
だから多分「評価しようと見る時点でダメになる」。そんな気がした。私は。
ちゃんと見るなら本当に快適なHMDで良い音響で快適な場所で好き勝手踊りながら見るしか無い。それは人類にはできない。
そうだね。
だからやっぱり Birds of a Scape は良かったと思いますよ。素直で。
まぁSilverのVR2作品はよくわかんないっすけどね…。gaze on meはマジで解説が欲しい。Displays XRはコンセプトかな、まぁ…。
ARは見てない (面倒なので) ので今回は無し。まぁでもSilverに選ばれてる作品のやりたいことはわかる気はする。サムネしか見てないけど。名前が好き。
うーん。面白い結果になりましたね…。
今回色々書く時にそれぞれを「言葉」にしてみたわけですが、そうすると見えるものがあるというか… 文脈が。
結局VR固有の文脈というのはどこにも存在しないということです。gaze on meみたいなのが作品として存在するということがある意味では固有なのかもしれんが、私はその未来は見たくない。
愚かさで争いたくは無いものです。
伴って「VR作品をジャンル分けしてほしい」みたいな気持ちにもなるわけですが、その願いの恐ろしさを私は知っています。
昔、某音楽ゲーム (遊んだことはない) で「ジャンル」と「曲名」が同程度にユニークなのをめちゃくちゃ不思議に思っていましたが、その理由を最近わかるようになった気がするのです。
まぁ、おかげさまでこれからも頑張っていこうという気持ちになれたのでよかったです。よかったですね。
良い機会でした。
他の人の解釈、とても見てみたいです。
明日はAdCを書きます。あとメイン作業。
良い日でした。おやすみなさい。
補足:
私はずっと「評価をする側の人間の眼の構造」が知りたいんだと思う ふしぎだから そこに本当に意思があるのかを、未だに知らない
— phi16 (@phi16_) 2020年12月18日
鑑賞者が意図通り振る舞わないのは製作者の敗北で 「意味がわからない」と言うのは鑑賞者の敗北 制作者と鑑賞者は元来対等であるべきだと思っている そこに自分の過去を賭けている
— phi16 (@phi16_) 2020年12月18日
何かを作るときに「見られないからこんなもんでいいんだよ」っていう人がとても嫌い
— phi16 (@phi16_) 2020年12月18日
これは思想の話で結果では無い / 「こういう場所を見られたときにその影響が**自分にとって**軽微である」ことを以てその選択をしてほしい
— phi16 (@phi16_) 2020年12月18日