今日はあまり何もしていません。…あれ。せっかくのにちようびはどこへ。
まぁ積極的にすること自体は無いんですけど…。この足りなさを感じている現在、こう、難しいですね。
とりあえずやったことは、iotmの英語版を2つ程文章を生やしたことがあります。これはやるだけ。
5分くらい間違えてボードが常に表示した状態でuploadしちゃったけどまぁバレてないでしょ。多分。
あそこはUdonのアレのせいで度々人がいるわけですが…どうせならAmebientを登録してほしいね。ね。
前みたいな運営の人と出会う機会は当分無いでしょうけど、まぁ。
あとVirtualLens2が出たということで。諸々の調節がやりやすいらしいので、折角なので入れてみました。
れんしゅ アクセサリのdepth直したような気もしてたんだけど治ってなかったのん pic.twitter.com/n2rtskHSIz
— phi16 (@phi16_) 2020年8月9日
まず導入ツールが完璧すぎてウケた。これがインフラたり得る理由ですよ。Unityというインフラの上にプレイヤーがインフラを構築できるの、やっぱり素晴らしいんですよね。
これがVRChatって感じだ。インフラを作ってくださる方々によって私達は存在出来ています。
で、まぁ撮ってみたわけですが、うーん。写真に関する知見が足りない。あとdepth。
ぼかし過ぎるとそれはエフェクト的解釈になってしまうのでちょうどいい感じを目指したいわけですね。そういう点できっと現実のパラメータに直接合わせるのが良いのでしょうね。
とりあえずは願うようになるよう、また練習したい気持ちです。
…某コンテストに出してみたいという気持ちから行動しているので、こう、いろんなものを作りたい気持ちがあって。VRChat的でとても健やかな気持ちになっています。
ふと思うとこういう写真みたいな媒体だと「異常な作品」が存在しにくいので (特にVRChatはいつも異常な写真ばっかりだし) 素直に「応募」できるのかなと思いました。
良い作品かどうかがそう明確ではないから、それはおとなしく審査員に委ねられるんですね。いやこれ審査員に対する単純な信頼な気もしてきました。知らんけど。
まぁ、私も純粋に「自分の最高の写真」を作りたい気持ちはあるので、ちょっとやります。多分明日明後日はそれをやります。
おまけ。
息抜きのために作るはずだったものについて頭をくるくる回してるんですが、なかなか気軽につくれるものになってくれなくて困っています。
全てを作りたくなってしまうのね。マジでよくないんですよね。作れなくなってしまうので。
根幹はほぼはっきりしてきたので後は周辺とメイン部分なんですけど、ってまぁほぼ全部なんだけど。
あれですね。願いが何かわかっていない…わけではないな。今回は完全に願い駆動なので明らかでした。
そういう意味では願いが強すぎるんだな…。まぁそれもそうか。んー…。
あぁ、面白い解決を見つけたかもしれない…。って思ったけどこれはこれでまた問題を生むな…。
なんかアバウトすぎてどうしようもない気がしてきたので、考えてることをいっそのこと全部書いちゃおうかなと思いました。まる。
そうすると「作らなくなる」可能性がそこそこに高いんですけど…まぁ実現可能性が高ければやるかしら。それが遠いんだけど。
この前ちょっと言った?気もする、「私を理解してほしい」という願いが根幹です。だから「私」を置きたくって。
図書館のような場所で、本を積み上げながら読書に耽るステレオタイプ的な私を創ってみたくて。
それは本当にアバターを置いてアニメーションを全部実際の私の挙動から録画して、っていうのを含むんですけど。まぁこれ自体はやればできる。
で、ボードゲームみたいなので遊べたらいいよねって。ゲームを介して「私」を理解できる状況になったらいいなと。それはベースレベルでも、メタレベルでも。
そしてー…言語。私は言語を仮定したくないので (これは多言語対応みたいな意味じゃなくて、純粋さの担保の為)、独自言語を生やそうかなって。
汎用性が必要のない構造は汎用性の必要な構造よりも気楽です。今回は誰でも話せる為でなく、「私」が話せれば十分で。だからそう困難ではない。私が話そうとしたことを話せるように組むだけ。
で、この前「メッセージ」観て思ったのは文字体系はまぁ2次元でいいよなという。いや3次元でもいい。なんでもいい。良ければ。それこそその選択に意味はほしいけど。
そして、それがボードゲームの根幹に関わっていると良いなと思って。
というわけで現在の考察点はこれです。「プレイ相手を理解する道筋となりうる二人ボードゲームのルール」です。まぁそれもとっかかりはあって。
1つは「私自身をゲーム化する」こと。ジグゾーパズルみたいな感じで、完成したら「理解」したことになる感じ。直接的であり、そして直接的であるからそのままは使えない感じ。
もう1つ思いついたのは「私の思考過程を出力する」こと。それこそ思考ルーチンを書くんだったらそれを文字として出力することで何らかの理解の道筋にはなりうる。まぁ最初は読めないけど。
折角図書館なんだし本にいろいろ説明書いてもいいですよね。ねー。
あ、あとそういえば「ゲームの状態に応じて世界が書き換わる」という案もありました。あとついさっき出た案は「私に負けることを目的にする」というものです。これは「うっかり」の文脈に近いね。
ちなみに「行動によってゲームのルールが確定していくゲーム」っていう案がこの前出たので誰か使ってください。今回は使えない気がした。
そういえば某作品の「記憶を駒にするオセロ」とかは概念的には近いですね。でもそれは対称にする必要があるし…。今回は非対称性をうまく使う必要があるんですよね。
ところでおまけもういっこかいていい?
小説ってずるいなって。
まぁこれは全ての媒体に言えるんですけど。
「美しい絵画」と書き記すと美しい絵画が存在したことになるの、羨ましい。
まぁ当然、だからこそ小説はモノではなく構造で評価されるんだと思いますけど。文体とか過程とか展開とか。現実にあり得ないどんなに素晴らしいものを空想した記述を残しても、それ自体は評価されない。その記述の具体性はもちろん評価されうるものです。
絵は「描かれたモノ」も評価できるんですけど、じゃあ何が足りないんだろう…。絵になってくると無文脈で通じるので (小説は言語があるので無文脈でない) 結構純粋な媒体なのかもしれません。あ、絵画はまた難しそう。
音は文句なしに無文脈だと思いますが、動画は…難しいな。ここまで情報の多い媒体になると「文脈がないと何も作れない」領域な感じもします。でも実際、この領域は「存在するだけで強い」ことがしばしばあるのが凄い。観るだけで感動を受信できる、素晴らしい媒体です。
空間はどうなんでしょうね。VRChatは「自己」という文脈を無文脈のフリをして引き出せる強さがあったりします。だからあの空間は比較的「無」的でも強くいられるんでしょうね。
まぁそれこそ何もなくてもインタラクションです。ありがたいものです。
で。見たいモノがあったとき。空間設計屋としては「その機能」まで作らなきゃいけないんですよね。そういう媒体ですから。そういう媒体であることを私は願ってしまっていますから。
だからこそ、願いは重く成り得て、叶えるのは困難であり、叶った時の重量が素晴らしい。あと現実よりも純度が高くて私にはとても好みです。
さー。やりたいことやっていきたいですね。
というわけでとりあえず「本」をね。作ってみたいと思います。写真に使いたいので。願いを込めて。
明日はそんな予定です。ではおやすみなさい。