Imaginantia

思ったことを書きます

日記 1129

今日はいろいろ…いっぱいありました。わお。

ん~~~悔しいね。ちょっと思うこと色々あってあれだな。整理します。

量産体制

まず私は汎用アセット類を一切持っていません。それは他人の成分を入れることへの拒否というよりはちゃんと毎回作ってあげたいという気持ちだと、私は解釈しています。

その結果Amebientでは随分苦労したわけですけど、これによって「良くなる」側面はあると思っているんです。

が、当然それは制作が遅いことを意味していて。こんな1時間制作で満足行くものには至れないので。

そうすると当然「手持ち」の強さが如実に出るわけです。そして私は手持ちを強くするべきだと強く思いました。

毎度言っているような気もしますが私は頭を動かしすぎて手が動き始めるのが遅いです。こういう状況を考えてこういうことが出来るように設計しておこう、みたいなのをずっと考えています。

でもそれによって出力がされなかったら意味がないのです

まぁ私自身は「ちゃんと考えて作り始める」という点で良い性質だと思っているんで簡単には捨てられないんですけど、選択くらいは出来るようになりたい。

なので既知概念についてはある程度手持ちを増やしても良いと思いました。

で。

問題はどういう形式で保持するかで。…Houdiniかなぁ、ってなるわけです。

長さも高さも自由自在、その場で組み上げたりしてもよし、云々… 私の思想にはとても近いです。

どこかでそういうアセット量産練習みたいなのをやってもいいかなとも思います。やる機会は…

いつか作りたいものがそれを必要とするので、その時になったりしそう… いえ、これはまぁ別の話を含んでいますが。

あとHoudiniだけだとテクスチャ生成が弱い気がする…って思ったけど多少テクスチャ作れるんだっけ。

うーむ。まぁ色々触ってみるのが良いかもしれません。はい。

少なくとも現在の私には経験量が足りません。よくわかりました。

概念空間

ただまぁ経験量が足りない理由はわかっていて、そういう空間を作らないからなんです。

それはもっと言うと「ちゃんと毎回作ってあげる」ことが出来る理由です。

完璧主義の解釈はおそらく2つあって、「全てを入れる」か「全てを抜く」かだと思います。

全てを抜いていった結果残るのは概念で、私はそれが好きなんだと…思います。嗜好として。

そして概念をそのまま完成物として出力できるこの世界が大好きです。いえ、そうあってほしいと願っているだけかもしれない。

抜いていくと美しくなるんです、淀みが無くなるので。それ自体は事実です。

が、当然全てを入れた結果最高に美しくなることがある。まぁ究極的には「入れること」と「抜くこと」が等しくなるのが真の「完璧」なのかもしれません。

なのでそれはそれで目指すべき方向です。Amebientはこれに近いことができた、と私自身は思っています。

 

で。

結局私自身が概念が好きで、好きなものを作っているので、そういう「入れるものが要らない」ケースが多いわけです。

何よりも「毎回0から作れる」程度に数が少ない。それぞれに情報が詰まっているということでもありますが。

だから私が資産を持っていないのは理解できます。はい。

まぁ例えばFormastacia作った時に机と椅子でめちゃくちゃ時間喰ってましたからね… あれも再利用性とか無く作ったからなぁ。

「学校の机と椅子」ってほぼ概念で、ただその概念を持ってくるには当然作るのが早い。

ただその概念は私の願う純度ほどはではないので「抜けなかった」。みたいな解釈。

…こうやって丁寧に考察しているという行為そのものが自分の首を締めている気がしてきた。多分そうなんだと思う。

あーいう「概念をぐっと引っ張ってきた世界」にはずるさを感じるところではあるわけですが、まぁそれを言えるのはその効果をちゃんと知っている人だけでしょう…

もうちょっとずるいことしてみたい。飛び抜けてしまえば何かになる。やってみたいこと自体はあるんすけどね、時間がね…

 

とりあえず次に作ってみたい「世界」(まだ誰かに言ってないと思う?) はわりと抽象度高いので、それでもうちょっと私の思っていることを出力できたらいいなとは思います。

世界観差

あとさっきの「ちゃんと毎回作る」話にはもうちょっと別の側面があって。

これ、もはや気に入ってるんですよ。あまりにもバラバラで。

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VRChatとかそういうレベルではなく、最初から私はずっと違う作風ばかりやっている気がします。

いえ、私の作風自体は一貫している気もしますが、こう、世界が違う。デザインの哲学が違う。

だから「汎用アセットを作ろう!」と思ってもどの世界でやるか、みたいなのが定まらないのです。

「私」はどの時代に属しているわけでもなくて…なんか、なんだろう。

これは「私が何らかの概念になってしまうと、その世界が固定されてしまう」ので「私がいろんな世界を視えるということは概念ではないということ」という意味だった、と思う。次節に繋がる話。

救いはないですね。まぁ、一般に悩みは絶えないということで…

机という概念ですら時代性を持つので使えないんすよね、概念空間には…

コラージュ解釈が一番正しい気はしている。実際やりたいんだけど。

純粋性

この前、深夜に延々と話していたときに「恥」の話をしました。

最近の悩み…みたいなものはほぼ全てこれに繋がっているようで、そしてこの話は 2年前 から変わっていないようです。

私は私を純粋に保ちたいという欲求があります。これに対して、「視えた世界を語る」という行為は割と相反するものである、ということを今日実感しました。

結局視えた世界はなんらかの私の過去から来ているものなのは確かです。ただ私はその過去の存在を隠蔽したいのです。完全になりたいので…。

それがめちゃくちゃに歪みを生んでいます。この性質は物を作るという行為に対して非常に相性が悪いので。先程の「完璧主義」とつながる話ではあります、完璧であるならば過去を表さなくて良いからです。だから私は完全性を選択してしまうのです。

ただこれに立ち向かう必要があるようで。私のやってみたい「曲という媒体」が、この完全性を破壊しなければならないようではあるのです。私の視えた世界をちゃんと語らなきゃいけないのです。隠してモノだけ出して解釈を任せるわけにはいかないのです。わかってしまうから

私がずっと音が苦手だった理由は結局ここに来るのかもしれないですね。否応無く感情を顕現させる媒体、たしかに私の性質からは恐れるべきものと言えそうです。

でもなんでも出来るように成りたいよね。完全になるために。なりたいので。戦っていきます。予定。

副作用でもうちょっと世界出力が出来るようになるかもしれないね。

機会

そんなこんな。色々考えていました。本当に良い機会になれました。

抽象解釈はそれはそれで見てみたいとは思いますが、今回こうなったという結果はものすごく望ましい、あるべきものだったと思います。

自分ができないことがよく分かるというのは本当にそう。そうですね…。全てだけど。

よかった。ちゃんと成長したいですね。未来の私の何らかのきっかけになりそうな気もします。感謝です。


 

うむ。そんなことがありつつ… 某VRM展某オブジェクト展 に行ったりもした。

後者に行ったときになんとなくでpublicに行ったんですが、こう、私を知ってらっしゃる方がいらしていて、めっちゃびびった。

色々話せて楽しかったです。なかなかこんな機会無いと思いますが… 嬉しいですね。嬉しいです。

とは言え純粋に遊びに行ってるだけなのでのんびり一緒に展示見たりしたいという気持ちではありますが、まぁあれはあれで…。

自分で開いたfriendsだとあんまり「外」感ないなって思って、いっそのことっつってpublicで行った気持ち (まぁポータルから行くとそうなるんだけど)。案外他の人もjoinしやすかったりするんじゃないかしら… そうでもないかしら。そうでもないな。

その後は複数人でちょっと回って。主催の方も居らして。…やっぱりpublicでも人に会えるのでは?

そういうところのコミュニティもあるんだなと納得した次第です。私も随分狭いところにいますね、ほんと… 1hWCでも思ったけどね…

 

あと某の某で某氏とお話したりしていた (?)。 VRM関連の仕様をちょっと知ることができた (??)。 元々そういうアレだと思ってるので普通に楽しんでました。はい。

なかなか「仕様を完全に説明する文書」の存在って難しいんすよね…っていうアレがあるんだけどこの話すると長すぎるね。

最近 Haskell を久々に書いたんですけど全ライブラリが自動的にドキュメントを持ってるの素晴らしすぎるなと思います。これが静的型付けの本領なんですよ。

 

で、まぁ、その後ぶいちゃに行った。その前についったーの流れをチラ見してたんだけど逆に言えば私はチラ見しかしてなかった。こんどみます。

ゆっくりできてよかった。おだやか。

あ。そういえば歯車の話もあったね…

今日初めてあのカメラを人に見せる機会になりました。内心どや顔です。えへ。

技術的な話はおいといて、結局私がほしかったものはこの必然性から生まれる構造美だった、ということのようでした (昨日書きましたね)。

それはさっき言った「入れたりも抜いたりもできない状態」に近いですね。物理的解釈としては歯車足しても空転するだけ、抜いたら動きません。抽象的解釈としては余計な歯車を挟む余地がなく、数を減らすと機構が動作できないという状態。

つまり完璧です。私的には。

これは時針・分針・秒針を構成する最低限の部品で出来ているつもりなんですけど…いやまぁ最適化の余地はあるだろうな。少なくとも色々探して出てくる資料に則った形での拡張としては、これが素直な形式だと私は思いました。

いっぱい歯車があるわけではないけど、やっぱりどこかこう、密度の差とか、情報があるように感じられると思うんです。設計が実在しているように見えると思うんです。

そういう性質を私は求めているようなのです。ぱっと見で単純ではないが、ちゃんと追う能力を手に入れると素直、みたいなのが良いですね。

そういえばこういう機構を私が理解した時点で「実際に作っても単純に見えてしまうのではないか」ということを懸念していたんですが、杞憂でした。まぁ時針と秒針の位置を調節する歯車を追加したことに起因している気もします。

というわけで良いものが出来ました。満足。


長々と日記を書いていたら1時間半が過ぎました。そうだね。

明日はやっと重い腰を上げて Amebient AdC を書く日になります。予定。

今の所予定は順調です。なんとかなってほしいね。

では、おやすみなさい。