Imaginantia

思ったことを書きます

日記 0630

重い話をしましょうか。せざるを得ない状況にあるので。

今日はメイン進捗とずっと呼んでいたものに取り掛かろうと思ったわけですが、まぁ仕組み自体は頑張ればいいんだけど、それによって出来るであろうものが気になって。

具体的にらくとさんに訊いてみたんです。それで帰ってきたものが、どうにも違くて

…実はこれ Presentation Room のときからわかっていたんですけどね。このときも一度疑念に思って確認したりはしたんですが未だ確定させる時ではないかなと思って詳しくは話しませんでした。

それが具体的に見えてきた今になって顕在化した状況です。この状況に持ってこれて良かった。「この先」を見る為の土台があって良かった。

 

対話の中で分かってきたのは「音楽」に対する意識の向きの差です。らくとさんは創る側なわけですが、私は聴く側…というのも少し違って。聴こえる側、に多分近い。

私が今まで作ってきたモノに一切音が入っていないのは、何もなくても私には十分だから、というのがありました。多分それも一つの側面なんです。

つまり私にとって音は世界に付随するモノで、世界から自然に存在を肯定されるモノ。実際に具体的な音は鳴って無くても、鳴っているような音がきっと聴覚に届いているんです。聴こえないけど。

だからこそ「正しい音」が出せないが故にそれを世界に与えることができなくて。不十分な音が入るとそれは完全性を下げてしまうんですね。

例えば Stair Hall は最初から音楽が欲しい気持ちでありましたが、音楽は変化を生むものである為にあの空間に合わないんです。あそこは全てが等価な世界だから。でも私は弦楽器に良く似た穏やかな音が聴こえているんだと思います。感情のない図書館みたいな音。全ての変化を拒絶するような。

もしかしたら正解は存在するのかもしれません。でも私には正解が存在する未来は見えていなくて。だから試すことすら出来ていないのかもしれません。

 

これに対して、現在創っているワールドは音が一つの大きな要素です。だからこそ音を出すことが出来るんです。いえ、むしろ私は今まで音が出るような空間を創ってこなかった、というのが正しいかもしれません。

そして音以上に「音楽のようなもの」が。大きな目標点であるわけです。だけど、それは私には設計できなくて、だから今回助けてもらおうと思ったわけでした。

多分私が創ると「音の出る世界」は生まれるけど「音楽の鳴る世界」は生まれません。なので音楽というものを与えられようとしたのでしょう。

でもこの現象の根本は、私にとっての「音楽」が何かわかっていないところにあるみたいなのです。結局そこに、今も戻ってきてしまったんですね。

昔から音を入れられない私をどうにか救済しようと思っていたという話もあったりするんですが、最終的には真正面から自己と戦わなきゃいけないみたいでした。

旋律というものを意識できない気がするんですよねー…。聴いているときは旋律としてじゃなくて…なんだろうね。なにか。だと認識している。いやそれを旋律と呼ぶのだろうか。

なんかそれを創っている自己を受容できないみたい。まぁ、今回の問題点はそこじゃないのでいいんですけど…。

 

私の現在の曲の好みは #NowPlaying を見るとわかりやすいんですが、多分安定的で劇的なのが好きみたいです。

感動的な曲というのは安定性を落として持ち上げるところがある気がするんですが、そうじゃなくて「世界はそのまま純粋な幸せを享受したい」みたいな気持ちだと思います。

あ、まぁ普通に感動的なのはそれはそれで好きなんですけどね。「私」として好きな曲の話です。

まともに曲を聴くようになったのは某のお陰であるわけですが、その中で段々理解してきたのが赤い方の裏、転機があったのが3.0のある時期でした。

偶然なんだかすごい刺さった曲があって。Queeze Mate なんですが。圧倒的しんどさがすごい効いたんですね。それと共に Without Title も聴いたわけですが、なんだか日常っぽい印象があって。でもこの2つはわりと近いような気がして。

寂しげな空間、しぼんだ感じの空間なんだけど、劇的な状況もまたその普段の中に存在していて。そしてその大きさも視点で違っていて。

みたいなことを思いながら近い曲を探してみようとしたけど無くて。結局感覚なので。でもラジオで流れていたのは大分好きな感じが多かったんですよね。

あと「劇的」の例としては「見えなかった正解を引き当てるような・提示するような変化」なのかな。Falling Downとか多分それなのかもしれない。The Universe Sent Meもそれか。

まぁ。「ちゃんとわかっている」かどうかなんて私にはわからないんですけど。Spotifyで流し聴きしているとふと好みを感じる瞬間があるんですよね。直感、まぁある程度わかりやすいような気もします。

で。

劇的であることが世界に組み込まれていて、それは映す向きが変わったことによるものであるような。つまり世界そのものの構造は差し替わっていないような。そういうのが好きなのかもしれません。

そこに物語が必要ないんですよね。表現する対象は世界以外に存在しない感じ。うーん。詳しいことはわかりません。

まぁだから根本的に「私」の好みは所謂クラシックとかポップな方向性とは真反対なんだと思いました。よくしらんけど。まる。

私自身はいろいろ好きなのは昔から変わっていないんですが。作りたいモノの話ね。


じゃあここまで分かってどうするかで。少なくとも「選択を与える」ことはしたいと思っているんですけど。

まぁ朝起きたら何かわかることもあるかもしれません…。ちょっと今日久々に瞑想しに行ったけど整理は出来たけど新しいものは出てこなかった。

とはいえ私は多分これにちゃんと考えなきゃいけない気はするんです。どうすればいいのかとか具体的な問題とかは何もわからないけど。

ゆっくり急いで考えていこうと思います。考えたりしつつ機構と空を創っていきましょうかね…。

おやすみなさい。

 

追記: ああ、そういえば、を識るのがいいのかもしれませんね。つまり向こう側の願いをもっと深く識ることが必要な気がします。