こんばんは。世界を創り始めて1時間半が経ちました。
スケールは広がっていくばかりですが、まぁ今回は色々と落ち着かせる理由があるので大丈夫でしょう…。
納得できるディティールしか作れないので、全てのディティールを納得させなきゃいけないのです。私に。
まぁ、まだ世界創造フェーズは長いので作業には入れません。でも今の所作業に入る未来自体は視えています。
いつも世界そのものに複雑性をもたせようとするので発散しがちなんですが、今回は完全に静的な世界ということで。きっと大丈夫でしょう。
良い風景になるといいね。
そういえば今日はこの前のセールで買ったResonark Xを初めて起動しました。
3回くらいぶいちゃ版には行ってて (まぁワールド見に行ってるだけ)、今回コレを起動する前にもちょっと遊びに行った。
まぁ概ねおばけさんの曲を聴きに行ってるだけではある。
元々こういうスタイルのゲームはやってなくて…楽しいのはわかるしBeatSaberも (Oculusアカウントで) 持ってて遊んでたけど。
多分その理由は「私が音楽を拒絶していたから」で。
その当時は音ゲーに対する逆張りで「瞬間思考の限界に迫るゲーム」を作るのが好きだった。そのリメイクで作ったのがMakia 01 NLなんでした。
そう拒絶感の無い今ではありますが、それでもやらないのは…いや単純にどんなゲームもやってないけれど。
まぁ好きなジャンルがそう広くも無いというのもあるか…?
あー、「私は外界の入力に対する反射を行わない」という思考がある気がする… 物事にびっくりしないように、というか「焦らないように」かな。そういうロールを自分に当ててるんだな。
つまり「外的刺激に反射する自己」に対して解釈不一致を起こすんですね。なんだこのめんどくさい生物は。
まぁ、それは「私」の話で。
それはそうとしてゲーム自体は普通に遊べて…こう。普通に良い。
完全には言語化出来てないですけどあの入力システムの合理性を垣間見た気がします。VRでの入力の不定性に対する善い解なのでしょう。
あとそういえば「譜面は文学」みたいなことを思った。これもちゃんとした言語化は頭の中ですら行われてない。
まぁ「特定制約下での実行可能解の評価最大化」の工程を人は最適化と呼び、共に人は創作と呼びます。
うーん。わかる。わかるんだけど抽象レイヤーすぎてなんかなんでもわかる気がする。
それはそれとして流れでRezをやったら楽しかった。まぁこれは比較対象とかそんなものではない。ジャンル…というか概念から違う。
Rezは最初からゲームじゃない。多分。non-game gameの最高の具体例かもしれない。
んー、で、Area 1の曲がめちゃくちゃ好きなんだけど、まぁ多分これは当然なのかもしれないという感情になったりもした。
他のAreaの曲はあそこまで道中で盛り上げない。これは逆に言えば…Area 1のbossだとちょっと落ちちゃう感じ、ある。
でもRezは道中で盛り上げていいゲームだった、とは思うんですよね。そう考えると…「スタッフだったから」っていうのは、めちゃくちゃあるかもしれないんですよね…。
結局疾走感と高揚感が接続しているということかも。Area 4のbossも同等に最高の感覚がある。
…昔はこの辺の言語化をするのが怖かった覚えがある。私は明らかにその領域をわかっていなかったので。
でも今は多少は音楽を聴いてきた主体として、ある程度文字を書けるような気がするんですよね。気がするだけ。
いつかこれになりたいね。5年後くらいかな…。
追記: そういえばメモに書くことを書いていたのを今確認しました。
UnderstandとThe Witnessの小さな話。
The Witnessだと「線が交差しない」ことを基礎条件に掲げているわけですが、これは交差点を1度しか通れないことを意味します。
それによって自然に空間解釈が可能になり (2-colorable)、あれらパズルが成立しているのはもちろん。なんだけど。
その制約を取り払うことで色々できるようになるかもしれない、というのもまぁ考えとしてはあるわけで。
Understandはそれができる世界だったから、面白かったな、と思った。やった人はわかると思う。
明日は今日と同じように「生活」をしつつ…世界創造の続きをしようかな。
そういえばとある映画を見たんだけど…
世の中の作品は願いを叶える為の基盤設計の量がすごいな
— phi16 (@phi16_) 2020年11月4日
…道具が整った人たちが羨ましいな、という気持ちにはなった。いろんなミドルウェアの本質もそれよね。
まぁいいや。
ちょこちょこ見たい映画まだあるので気軽に消化していきたいな…。
当分は独りでがちゃがちゃやってます。わいわい。
おやすみなさい。