「何も知らない人」に、「1+1は?」と訊いたら、「わからない」と思います。それが正しい。
それで、ちょっと世の中のなんとやらというのを知ると、「2」と答えられるようになります。正しい。
そして、もっといろいろなことを知ると、「1」とか「10」とか、答えられるようになります。
最終的には「何を答えても良い」ということがわかります。それでいいんです。
ただ、それは、逆説的に「何を答えるべきか判断できない」すなわち「わからない」という状況になります。
だけど、これは最初の状況とは違います。これは「何がわからないのかちゃんとわかっている、『わからない』」なのです。
これがきっと唯一の差なのです。
こうなったときに、なんとやらを頼りとして「2と答えるべきだろう」と考える人がいます。私はその態度が好きではありません。
その選択が本質的な問いでない以上、ある選択を要求するならばその対価を払うべきなのです。
すなわち、「私は何かを頼っています」と語るべきなのです。自分の生きてきた文脈を。
その欠如が、同時に誰かを不幸にするのです。
選択を無に帰して、それでも尚意思を以て選ぶということが、唯一信頼できるものだと思います。