特に理由はないです。
比喩
何かを表すのに何か別のものを使うことをよく人類は行っていますが、当然ながら比喩がうまくいくには条件が必要です。
Aのとき、B ↓ ↑ Cのとき、D
「Aのとき、B」が元々言いたいことだとして。「Cのとき、D」であることを根拠とするならば。
AとCは相互交換可能でなきゃいけないし、BとDも同様に交換可能である必要があります。
そして加えて、この四角形そのものが本質的に構造を持たないことを示す必要があります。これは可換性に関わるよくある条件で、「真ん中に穴が空いていない」ことを要求するわけですね。
要は字面上うまくいっているように見えても本質的にうまくいかないケースがあるんじゃないのって話です。可能性の話ね。
で、まぁ何よりも重要なのは、その比喩がうまくいくことを説明するのは喋る側だろうというところで。
一方的に喋る人類は総じてまぁ無意味な音声を吐くものでありますね。
いい加減にしろ。
butterfly-effect
昔からバタフライエフェクトという概念は人類大好きに見えますが、それをなんだかどこか空想上の話だと思っているような気がしてなりません。
私達はキーボードを1mm押下するだけで海外のサーバのDBにデータを書き込めるのです。
制限を受けるのはただ「光速」のみ。要は「0.04秒後に地球の裏側で起きることは私達には絶対に変えられない」くらい、です。
逆に言えばその範疇であれば状況は変わりうるわけです。
つまり。「過去に戻ってもう一度」系物語は、だいたいえぐいことになるはずなのです。
Vivyは変えることを前提としていた物語なのでまぁええか、という気持ちだったんですけど。特に「影響の大きさ」の話もあるから。
この前見たとある映画がね。「過去のこのときの行動はこうに決まっている」系だったので。うーんってなりました。
人の行動はだいたい些細なことでどんどん変わっていくもので。ねぇ。
そういうところで「影響」について語らない、っていうのが、「強い概念を使う責任を取っていない」という状況、と思っています。
強い概念をいいとこだけ取るっていうことはできないものなのです。何故なら強いから。
ちゃんと責任を取ること、すなわち「畳み切ること」っていうのはとても大事なことだなと。とてもおもいました。
おわり。