Imaginantia

思ったことを書きます

比喩

ふんわり考えていたら書きたくなりました。なんか前にも少し書いた気もしますが、ちゃんと具体例で書こうというやつですね。

思考実験です。

\{1,2,3\}の部分集合を列挙せよ」という課題があったとして、それを人に感覚的に伝えたい、と思うことがあるとします。

そこで私が思いついたのは「"こんにちは"という単語に使われている文字は何でしょう」という問でした。これは一般的に理解できる問だと思います。

これは正しく比喩として成立しているでしょうか。していないのでしょうか。

 

比喩とは対応関係によって2つの文章を繋ぐ行為です。これにおいて、対応が「どう」成立しているかは実は重要…だと思っています。私は。

まず先程の例。

  • \{1,2,3\} という集合が、"こんにちは"という単語に
  • 部分集合という概念が、使われている文字という概念に
  • 列挙を答えるという問が、各々何かを訊くという問に

それぞれなっています。

ここで、「集合」が「単語」になっていますが、この2つには「何かのあつまりで出来ている」という共通点があります。前者は要素、後者は文字。

しかし、本来はここに大きな差があって、単語には文字の順序が定まっているという性質があります。集合にはありません。

だから、もしも本当に集合のことを知らない人がこの「比喩」を聞いた場合、集合には順序が定まっているのかと思ってしまうかもしれません。

 

対して \{1,2,3\} という「3つの要素」で出来た集合が "こんにちは" という「5つの文字」で出来た単語に対応しているという点では、逆に要素の数は今回議題にしていないということを比喩から知ることができると言えます。

即ち「問の意図は部分集合の概念を理解しているか判断することにあって、具体的なこの問題が解けることを訊きたいわけではない」という意思の存在です。

同様に要素が「数字」から「ひらがな」に対応している部分に関しても、今回は数字の性質などに関しては一切関与が無いということが伝わります。

また、「列挙」という形式は逆に順序を想起させるものとなっていますが、「全部答える」という形式は順序を無視しています。これも順序を議題にしていないということが伝わるといえるかもしれません。

 

「部分集合」という概念は「使われている文字」とは本来大きく異なる概念です。部分集合は複数の要素で出来ることを許容します。

その観点では例えば「"こんにちは"という単語に使われている文字を組み合わせるとどんな単語が出来るでしょう」という問が考えられます。

しかしこれでは逆にズレが生まれて、「同じ要素の数は区別されない」「順序は区別されない」という集合の性質にそぐわないものになります。

また、「全ての可能性を選びたい」という部分集合列挙に対し、単語列挙では「世の中に存在する単語のみを選んでしまう」ことになり得ます。

ぴったりな意味を表す問を考えようとしても元々意味のある体系である自然言語の上での具体例であるが故に、意味の無い操作が不自然になってしまいます。簡潔に感情として記述するのが難しいのです。

 

というわけで、確かに「部分集合の概念がわかっているかどうか」に対応する問となっているとは言い難いですが、「それが何から出来ているか」を問うているという観点からは的を外した比喩ではないと捉えることができそうです。

要は比喩におけるこの「何を共通とし」「何を無関係とするか」という境界が、元の問の本質を捉えているはずという話。

逆に言えばこれによって問の意図を精密化することができる他、ちゃんと対応関係を拾えていない場合は間違った解釈を増長させてしまうという側面もあるわけですね。

 

なかなか一文で全てを理解してもらうのは難しいというのは常々思っているので、私は同じ意味の文章をいろんな側面で何度か言ってみるということをやることがしばしばあります。

例えば具体例を複数立てるというのもそうだし、こうやって比喩を出すことでその共通点を感じ取ってもらったり、または「何ではないか」を示すことで外側から縮めていったり。

意図せず意味を持った言葉を発してしまうこともしばしばあるので、ちゃんと相手の理解が正しいかどうか (自身の発言が間違っていないかどうか) は相手の任意の発言や振る舞いから推測しなければならないところです。

むずかしいけれど、言葉が伝わるとうれしいものです。