Imaginantia

思ったことを書きます

日記 0520

順調です。一般的に境界として知られる3日間という期間に現在立ち入っております。将来は未定です。

 

今日は予定通り音を変えることができるようになりました。Twitterに動画は投稿していないんですが、これはちょっとした気持ちの問題です。

アレは結構適当に叩くだけで「音楽」が出来てしまうので、何が良いかわからないんです。リズムが合わないのはすぐわかるんですが、音階は本当に「勝手に綺麗になる」ようにしちゃったので、そこに意思が無く、善くないモノが出来ている気がしてしまうんですね。

ちょっとだけ思ったのは、メロディに意思を込め、他は環境であると解釈するということです。重要な、情報としてやってくる成分と、それを持ち支えるディティールというのはきっと別なのかもしれないという話です。こういうのは音楽をやっていくと理解するところなのではありそうですが、未だその域でありません。はて。

まぁもうそろそろ「気軽に叩いて遊ぶ楽器」になりそうな気がするので、その期間を幾らか続けていけばきっと理解が伴う、のかもしれません。これは経験問題な気がしています。

 

話は戻りまして、昨日のタスクのことです。音変えは出来たものの「絵を描く」方は達成できていません。これは単に作業が遅れたからです。嘘です。いや嘘ではありません。ゲームを見たりゲームをやったりしていたからです。仕方ないですね

タスクが達成されていない状況というのは反省の余地が一般にはあると思いますが、これについては結論が今回は出ています。むしろその結論を出したのでゲームをやりました。明日絵を描くことにしたのです。

これは、ゲームをやるのはある特定の時間帯でないと (やる気がでないので) いけないのと、絵 (というかデザインラフ) は他のことをやりながら手を動かすことである程度進行することができるからです。いろいろ調べたり眺めたりして、それを記録していく作業は、比較的負荷が低いので (刺さるのは本能なので頭を使わないので) なんとかなる気がしました。

明日はちょっとやることがある日なので (一点集中が出来ない日なので)、デザインをいろいろ検討するタイミングにちょうど良いと思いました。というわけでやります。

これは適切な時間配分だと思うのです。ゲームをやりたくなったらゲームをやらなきゃいけないので、それに時間は取らなきゃいけないのです。1時間の消費なら何も問題はないでしょう。

いい感じに明日「未来が見える」ようになることを願っています。


おまけです。

日記という媒体は、わりと気軽に「モノを文として出力する」のに適しているなということがわかりました。というのは、今までの形式のような「いろんな考察をまとめた記事」というのはそこそこ重いので (私も大変だし読む側にも「その重さ」を受け取る余力が必要です) 気軽に出すものではないと思うわけです。

が、日記は軽さを許容する媒体です。こう、VRChatとかで気軽に話している内容を記録として保存するには日記という媒体はいいものなのです。多分。

…具体的に色々と書こうと思ったんですが、それでもちょっと悩んでしまうべきだと思ったので一旦はやめておきます。ちょっと「持ち上げて」情報を記しておきます。

 

人は変化する (完全に把握/理解することができない) から良いんだろうなと、ちょっと今思いました。いいえ昔からそれは話しています。

どうにも私 (または「近い」方) は状況を強調する振る舞いをするところがあるんですが、私は比較的それを是としたい気持ちでは居ます。それは「一枚レイヤーが乗った世界だから」という点があるわけですが、根本的に私は別にレイヤーを分けた解釈はしていないという話を前にしました。つまり他者の許容を願う行為なのだと思います。そのレイヤー差で以て状況を許容してほしいんだと思います。

しかし、「その上での日常」という解釈に於いてはきっとその強調はきっと不要で、するべきではなくて、その世界に元来在るべき距離を保つべきなんでしょう。それでもきっとゆっくりと変化はあるし、それを求めるべきなんだと思います。

多分「解釈の上での未来」そのものが好きなので、きっと現在にはその強調が影響されなくていいのです。だから、唯この空気が自然に進行することを私も求めているような気がします。

みんなそうなのかもしれない。それでいいんだと思います。

おまけでした。


おまけのおまけ

そういえば、この文章のスタイルの一部は恐らくとある方の文章の影響を受けています。それを今日書き記すことに意味はあり、これは情報を確定させるモノです。いや昨日書けうるべきだったのかもしれません。