いろいろを考えていった結果そういう結論になったので、それについて書きます。
様々な「空間」がありますが、その論理的な解釈には結局数学の言葉が出てこざるを得ません。何故ならそれが数学と呼ばれるものだから。
とは言えそれを使わないで喋ることがある程度出来ているのも事実。でもその状況が常に「靄」を生むのもまた事実だと思っています。
というわけで、昔書こうとしたものが「一切の前提無しに0から理論体系を組むとどうなるか」、です。
まぁやってみてわかった1つのことは「詳細があまりにも複雑でだるい」「まず文章という概念が難しい」などですが、結局それ以上の方法を私は持っていません。
ある程度複雑な空間構造の話まで行くと楽しい可視化ができる、ということで作ったのが Inter-action on the Math でした。
逆に言えばそれよりももっとprimitiveなものについては、なんだかうまくできない感覚がありました。
その原因の一つは「モデル」です。つまり、単純すぎるが故、「見えているもの (モデル)」と「その本質」の差が出にくかった。本質を見てほしいけど、それに注視させるには可視化という方法は弱すぎた。
積み木はそれだけで非常に面白いものだと思いますが、そこから概念的性質を抽出するには邪魔なものが多すぎる。
だから文章にして、できる限り削ぎ落とすしかなかった。
これは結局「教科書の内容を完全に可視化することはできない」という意味になります。かなしいね。
The Witness がどれだけすごいか、ということですよ。これは。
でもやりたいじゃないですか。
というわけで救いは特に無いけれど、こういう話やりたいよね、ということについてのメモを書いておこうと思いました。実際に文章を書く予定は一切ありません。もともとはやりたかったわけだけどね。
以下、本編。
- 基礎の基礎 (「空間表現の絵本」でやった領域)
- 空間の扱い
- 計算機の扱い
- その他
- 色・画像・音・動画
- 物理法則
- 光
- 3Dモデル
- 計算量とアルゴリズム
これは結局私の好みで出来ているけど。あと私が書ける内容じゃないものが多々あるけれども。
そして結局のところそういうのはまぁ「そういうところで学ぶ」のが一番なんだろうということを思うけれど。
はて…。
なんかこう、コアとなる何か1コンセプトの「認識」さえ出来ればそのあと自ずと読みに行けるような気がしなくもないんですよね。
例えば「全ての構造には何らかの合理性がある」とか。あとまぁ、「内部構造を理解できないものなんてそうそう無い」とか。「怖がる必要がない」とか。
まぁ、私が実践出来ているとは思っていませんが…。
どこかをテーマにして何か作るとかはしてみたいんですけどね、ずっと。それこそ「そこそこ複雑な領域まで発展する」ことができるなら、可視化の意味が出てくるわけで。
当分できる様子はなさそうですが。
はい。
おわり。