やりたいことは非常に正しい。が、その実現方法はきっと最高のものではない。 この言語は未来永劫使われるためのものではないことを本人たちもわかっているとおもうのだけど。
結局すべての問題の根底にあるのは文法なのである。 記述力を補うのは誰がやることか?というのはもちろん言語であるが、しかし「記述力を補う言語を補うのは誰がやることか?」というのは、また別の話である。 今回はプログラマがやってしまったわけだが、その答えは言語であっていいとおもう。そんなものをつくりたい。
きっとそれで「そこに」生まれるものは、確かにこの言語の系譜を受け継ぐものになるとおもう。