Imaginantia

思ったことを書きます

日記 0105

今日はおとなしく作業。あとマルシェとDCを回りきりました。あとはメテコレプカだけ。

昨日のアレの追記を書こうと思ったけどまぁいいか…。1.3倍音、使うならちゃんと自分で制御しきれないとだめですね、というだけです。


 

さっきまでのんびり考えてたことを書いておきます。昨日の話と共通ですが。

「表現したいものをどう表現するか。」

具象、強いんですよ。減算シンセみたいなもんです。色々抽出できるモノをまぁ元々持っている。

それは解釈の不安定さとのトレードオフでもあり、でもそれを是としているのが多くの創作物だと私は認識しています。

表現したいものは何がどうあろうと抽象だと思うんです。何故ならそれは具体的に存在していなかったものだから。

まぁその抽象に対して創出した具象が「名前」となったら、それは最も完璧な振る舞いであった、ということです。

表現は一般に具象です。何故ならそれは在るモノになるからです。

 

対して、私は抽象をそのまま吐くことをしたい。

そしてその行為は「創作」ではなく「設計」という名前がついているんですね…。

モノではなく配置を。道ではなく連関を。欲しいモノは抽象であり、それは比較的純粋な形で表現することができます…特にこの世界は。

いろいろとMVとか見てるとやっぱり具象の抽出を感じるんです。そしてそれはそれでいいと思います。

ただ Max Cooper めちゃくちゃいいなと思った。

www.youtube.com

これ、めちゃくちゃ欲しい物に近い。媒体としては具象を使っていますが、そこに在るモノは抽象の範囲であり、そしてその扱い方が抽象なんです。

具象を具象として見てない。例えばこれは「大きさ」が一つのファクターで、それには具象性は一切含まれてない。あと「配置」ですか。

ここから具象を取捨することは出来るはず…とは言えませんけど、でも「同じようなこと」はできるんじゃないかなぁ、とは思うんです。

なんかそういうモノで、こう、私のモチベーションになるものがほしいと。思うんですけど。なかなかね。見つからないのよね。自分の中には。

 

Saturataは実はそれになりたかったんです。元々のプロジェクトはまた違うのだけど、今回出力する際には「抽象で出来た空間」として思っていたんです。

そしてそんなにズレてるわけでもなかった。コレ自体は望んだものでありました。

彼処にあるモノは「曲線の放出」「平面領域の接続」「空間を埋める単位」「信号を発する機会」そして「感情のない色」です。空間に在るように視えたもの、をただ置きました。

元はあの曲線は「成長」の表現だったはずです。そこから「森」としての認知を経由して「道」が生まれ、「空気」が生まれ、「空を飛ぶ者」がいました。

私はその世界に棲む小さな一人であり、そして世界に対するインタラクションを一切持ちません。アレは無力さなんです。ドに対する…。

みんなが空を飛んでいる間、私は道をゆっくり歩いてて…何をしているんだろう、って。

飛ぶ鳥は自由に行き先を変え、私はそれに翻弄されます。届く頃にはもう違うところへ。

…まぁ一解釈ですけどね。でも出てきたモノは私にはそう視えました。

だから確かに私の中では「日記」として片付いても居ます。アレは確かにあのときの心情であり、そしてそれ以上の何でもないんです。

そして「アレ」はそんな「私」に対する私のコメントです。自分のやりたいことをやれと。

で。

こういう解釈みたいなのは、抽象だろうが具象だろうが関係ありません。読もうと思えば読めるというだけです。

でも抽象をそのまま吐くというのは、本来は「解釈の余地がほぼ無い」ことを意味しているような気がするんです。

Amebientで音が発生する原理を誰もが直観的に理解するように。

そこにある構造が唯そのまま自分の中に入ってくるようなモノが見たいのです。

そしてそれが出来たモノは、「良いデザイン」と呼ばれるんだな、ということを。思っていました。

 

抽象画とか、わりと私にはそのままの意味で良いリファレンスになりうるのかもしれませんね…。まぁこれも「抽象による具象表現」なのかなと思ってるけど。

私がそれを見て解釈が確定できるか、というところでもあります。読み手の能力よね。

あんまり私は「人を否定したくない」ので、そういうことはしたくない…いや、しないように振る舞おうとしています。Vk4後から。

その辺も相まってごちゃごちゃと条件がきついんですけど、まぁ…。

やっぱりまだまだ色々、面白いものは見れると思うんで…。

私は「自然な空間解釈」をそのまま表現にするということを何度かやっています (Just a canvasのプリズムとか、ド、あと一貫性の境界も近いですね)。

ただそれだけだと限度がありそう。まぁ程度問題であり、私の扱える空間が広がれば良いというだけなんですけど…。

もうちょっと外側をつっついてもいいんだと思います。そのうち取り込めると思うので。

そういう点ではSaturataは良い練習でしたし (アレは自然ではなく、私の感情だから)、そういう流れが必要だったんだろうなということを自覚できて良かったんです。


 

色々と意図せずして良いまとめになってしまったな。

そんなことをしている場合ではないが。メインタスクくん…。

はい。明日もやっていきまーす。

おやすみなさい。