今日も予定通り。良い傾向にあります、今。
何かしたっけとついったーを見てみたけどほぼなんもなかった。まぁ良い事です。
なんか私はプログラム書くの苦手なのでは…とか此頃思ってたんですが、まぁ書くとがーっと生えるので、そういうことなんでしょう。
幸いなことで。
ちょっと詰まってきたところで偶然fotflaさんがワールドを開けてたのでお邪魔をして。
その後ちょっと経ってから某ワールドが開いていたのでこっそりお邪魔して。
んでおうちに帰って色々計算とかしてた。
なんだかんだおうちの居心地が一番良い pic.twitter.com/TJ4D1W76Ai
— phi16 (@phi16_) 2020年11月21日
Deep Blue (海の方) 行ってまたVR作業するかなとか考えていたのだけど、一度 "Go Home" をしたときに王都に帰ってしまったことでふと思って。
王都、ロード時間は (いつも行っているので) 無いんだけど実際にワールドに入るまでの時間がそこそこ掛かるんすよね。それは仕方のないことです。ただ実用的にねー。
そう考えてHomeを元に戻したわけですが、久々に行って、久々にここがめちゃくちゃ良いことを思い出しました。
まず私が居る。
ペン持つと2つ線が生まれるのでおもしろいのはまぁそうで、なんか面白い映像撮れそうと思ったのでなんとなくやったのがアレで。深い意味は無くて。
結局な、わしゃわしゃしてるのが一番楽しいんですよね。
偶にHomeで私を撫でるためだけにぶいちゃ起動することがある。
最近自己愛成分が強い気がしますね。特に私自身は変わってないんですが公開可能性に関しては何らかの影響を受けているんだと思います。
で。
諸々やったのでどこか行くかなーと思って、偶然SLT?が開いているのを見かけたので行ってみました。なんとなく。
行ったことのないワールドは、「ワールドを知る」という目的が生まれるのである程度の行くモチベーションがあります。
穏やかに日常がある感じの空気が良かったですね。こう、常識レベルが底上げされてる感じ…
いつでも演奏できる空間があるというのはなかなか…良いものなのだろうと私は思いました。
行ったときにはピアノが流れてたんですが、終わったららくとさん含めの3人即興が始まってめちゃウケた。本当に偶然良いタイミングを引いたもので。
「即興」という概念、長いこと理解できなかった覚えがあります。音楽には譜面があるみたいな刷り込みね…。
楽器を自由に扱えるのは一番下のレベルなんだという話。…いえ、まぁ単純に上下ではもちろんありませんけど。
私は手先不器用なのでそれには成れなかったし成らなかった。成りたかった、ような気はします。
私は型に沿って綺麗にやる派よりも好き勝手に楽しくありたい派で、そういう即興演奏的な物に結構憧れがあるんだと思います。
それはらくとさんのよくやってるのもそうだし、デもそうだと思うし、とねちゃんfreeさんとか、あと…
…この話すると長くなるからやめていい?今度にしようね。
要は真面目に解釈を楽しんでいたという話です。よかったです。音の役割性とか、或るところで「渡す」感じとか、周期を抜け出すとか…理解ある感じがありました。
でも私には最後がわからなかったです。全然わかってないということもわかってよかった。素晴らしい。
まぁ単純に聴く側は「綺麗な終わり」なんて期待してなくて「永遠に続いて欲しい」と願っているだけだから、という説はある。ただ私の場合は聴く側の解釈に留まりたくはないもので。
その後に演ってた所謂「日本的楽曲」も聴いてて楽しかった。Kinoのおかげでやっと和音感がわかるようになってきた気がします。まだまだ足りない。
そういえば最近思ってたこと。
「曲」と呼ばれて思い浮かべる概念、多分人類のどこかに大きな溝がある気がして。
某「5秒テクノ」が先程の即興の話に本質的に近いのではないかと思うんですが、つまり曲とは「構成」を指す語として使われる領域がある。感じがある。
それは生まれ方に起因していて、即興は時間軸が存在するので過去から未来を生み出すしかない。だけど、名前の付いた曲というものは未来の為に過去を再設計できるんですよね。
5秒テクノには多分時間軸が無いのかなと思う。
聴き手としてはいい感じに音が流れていれば嬉しいみたいな気持ち (これは過去の私) で十分な気がして、そうするとこれらを区別するモチベーションがあまりないんだと思います。
区別できないしな。能力的に。
色々と識ることで概念を再定義出来かけている現在です。はい。誰かの辿った道を辿っています。
その後ちょっと抜けてここつめさんちとマネさんちを訪問。おだやかぶいちゃでした。
ワールド作りたいですね。作りません。色々終わったらね。
今日のおまけコーナー、要る?上の話で十分では?
音楽の解釈の話は書いてみたいけど正直わからないことしかなくてまだ書けない。
誰かが何かに気づく瞬間みたいなのを観測したりするけど、本当にすごいと思ってます。私には本当にわかんないみたい。
それはそうとして。
一応メモに「実存」って書いてあって、まぁちょっと前に3時間くらい変えた名前について話すことが一応出来るっぽいんですけど。
まぁぱらっと書きます。
実存という言葉はそのまま 実存主義 という思想からくるっぽいですけど、そんなことは特に考えていませんでした。知らないので。
思う意味とはちょっと違う解釈であるようですが、同時に私が実存主義に否定的であるという点で、逆に解釈一致とは言えるのかもしれません。
私は「本質を以て存在を定義したい」派です。それは単なる願いです。
或る誰かの「世界は私たちに偏在する」も、本質的に同じなのかもしれません。
つまり私達という解釈存在によって初めて世界が機能するのです。
そして、「私」そのものも、他者からの解釈によって存在が決定するのです。するようにしているのです。その話は昨日も書きました。
私の深層の願いには「偏在」が含まれています。私という個が生存せずとも、私という概念が個々に構成され一貫性を保つならば、機能的に私は実存を得る。
「概念になりたい」っていうのはそういう意味ですね。そして同時に、だから私は「存在になりたかった」のです。成れることを願っています。
割と成れる気がしてるんです、最近。
書けば色々書けそうだけどいい感じの終わりを迎えたのでこれでいいかな。この辺は唯の思想面であって表層上は現れないものですが、だからこそ日記に書くのは良い点かとも思います。
明日も今日の続きです。おうちで考えてたことがうまくいくといいな。
おやすみなさい。