Imaginantia

思ったことを書きます

私とVRChat 4年目

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えー、今更ですが、「1年」が終わったので、またこれを書きます。

微妙にタイミングを逃してしまったあれがあって。まぁ。

今年はアレですね。数は減ったけど、密度が上がりました。

5.0

前半はずっとこれをやっていたのでは…。

解説はなんやかんやと書いているので…って思ったけど技術的?な話が多いですね。

そうね。そうねぇ…

3.0で一旦めちゃデカになった (ワールド容量もな) 印象のGCですが、5.0は逆にある意味で縮小的なのです。歩ける領域とか。あと置かれているものたちとか (3.0はずるいやりかたをしていましたからね)。

なのでこう、"見やすい"ですよね。良い塔です。住む場所ではなくなったけど、居る場所としては良いのだと思います。

現在も継続的に運用されていて (ワールドは一向に修正されていませんが…) いろいろと嬉しい意見を見たりするので嬉しくなります。

「ちゃんとつくるとよくなる」かどうかについては私はなんだかんだ懐疑的なんですが (必要条件だとは思っている)、今回はそれに合致するケースと思えます。

 

ついでにCRTの話…って思ったけどあまり書くことがないな。

うちのこの「元ネタ」は前に言った通りフーリエ変換のつもりで、好きな方向への波を作れるという機能が基本です。

離散群上なので見かけ上エイリアシングみたいなことにもなって、これが視覚的に丁度良いというか。連続だと出来ないこと。

それを鋭くしたりゆるくしたり、色々と外から弄るパラメータがあるわけですが、基本的にはたった8つで出来ています。

本当に多彩な動きが出来てすごくかわいいです。うまくいってよかったです。

代わりに上下左右移動はあまり使われていませんが、まあ、たまにこう。たまにいじってるので許してほしい。

本来のポテンシャルはもうちょっとあるはずなんですが (左右移動の速度を上限解放すれば) まぁそれはいつかのお楽しみ、みたいな気持ちでとっといたりはしてる。

その辺が全て融通聴くようになったら「白と黒のモニタだけで (外部映像ありの) VJ」やりたいなぁとかふんわり思っています。

思っているだけです。

 

そしてfotflaさんのVideoSynthesizerとの連携がね。すごくよくてね。

私のは、原則としてテンポに合わせることを前提として組まれています。考えてみればド時代から私はそうでした。

対してfotflaさんのあのこはテクスチャというか、質感そのものを組む感じになります。構造的な私の方と対照的です。

音楽というのはそのまま受け取れうるリズム的情報とはまた別に感情的情報がある雰囲気がしますが、そういう役割分担としてあのCRTVJは完璧なのです。

…この話どこかでしたっけ。まぁいいか。

GCは原則としてどんな音楽でも鳴りうるわけで、それによってどっちをどれくらい使うかを変えたりできて。

少なくとも今の所「表現能力には」不満がないです。

時間方向の操作解像度・精度に不満はありますけど。タイミングぴったり合わせたいねー…

そういえばドは「各々が作ったものを物体的に重ね合わせる」ものでしたが、コレは「同じ物体の違う性質を各々で操作する」ものです。落ち着いた正当進化としてふさわしい感じなのです。

はい。

 

GhostIlluminationの話は…いつからだっけな。RealtimeGIがしんどいという話はずっとあって、簡易的なものなら作れそうというぼんやりしたアイディアもずっとあったと思います。やればいいだけだし。

もう覚えてないし、今となっては、というのをすごく思っています。えへ。

少なくともこの大きく成長しているぶいちゃ環境であってもまだ耐えているというのは褒めて良い気がする。

というかそう考えると5月末にこれが存在していた、というのはなんだか面白い気がしてきますね。それだけ先にいたんですね。今は並ばれてしまいました。うれしいですね。

私は「ちゃんとやる」ことの価値をちゃんと全体で高めてほしいと思っているので、ぶいちゃは本当にそれが行われていて良い環境だなあと思います。

良いものはね。たいへんなんです。

みんなすごいです。

…さらっとアレに書けたのはうれしかったですね。

 

永遠に修正がされていない5.0ですが、一応修繕計画はいろいろあって。みんな忙しくて動けていないのだけど。

CRTVJももうちょっといじりたい部分もあるし。はい。すいません。

申し訳ないんですが気長に待ってください…

 

さて。時間を多少遡ります。

シェーダ会

www.youtube.com

www.youtube.com

そういえばこんなのもあった。

これはどっちもbutadieneさんに唆されてやることになった記憶です。たのしかったです。

1年前か…。いや5.0も1年前か、という気持ちではあるんですが。この1年なんか長かった気がするんだよな…。

あまり書くこと無いな。私解説だしな。

まぁ、某の通り、私はプレイヤーになるのは苦手なんですが、解説はわりと好きらしいです。ぶっちゃけああやってお話するのもちょっと好きです。

ただ、「お話するのが好きな人」は現世では概ね危険人物だと思うので、あまりそうはならないようにと振る舞っています。できていない気もする。

ゆるやかにおはなしをするのってむずかしいです。何か喋ると思想が乗る。

自分のチャンネルでやっているというのはその責任取りでもある気がしてきました。なんでもいいかまぁ。

リンドの夜探し

そういえばそうでした。

どうしようかなとは色々考えたものでしたが、これでよかったのだと思います。書いたし

私は記録という行為が好きらしいですし。

フルトラ

フルではなくなってしまったが。

何故か (よく読むとわかります) 手元に存在することとなったトラッカーさんですが、最近は案の定寝るために使われています使われていません。

一時期はクに行くときにはつけていた覚えがあるんですが、5.0でVJ業をやっているせいで「休む」か「演る」かになってしまい、マジで踊る機会というものが減ってしまっているのです。

たまに真ん中らへん行ってますけど、そのたびにトラッカーつければよかったなと思っています。やっぱあると楽しいですから。

んー。そんなにコスト高いわけでもないんだけどね。

まぁ、まず最近VRChat自体あまりやってないので仕方ないところではあるんでしょう。

写真撮ったりするときにはいいですよね。またなんか良い服見つけたいです。

日記一周年

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そういえば。一年経ったので毎日日記を書くのをやめたんでした。これについてはさらに「やめたことによる影響」なども文章にした記憶があります。

これによって、代わりになんか重い記事が増えるようになった気が…しますね。一応します。

ただだからこそ軽い文章があまり書けなくなって困っています。こう。軽い願いとかが。

まぁ最近はなんか作業で全て時間が消えている感覚はあり…いや、まぁいろいろあります。

たまにほんのり書きたいことがあると書いています。この感じ自体は悪くないです。

一時的な感情で文章を書いて消したことも何度もあります。書くと気が晴れるので、これは良いことです。

またこれからものんびり書いていきます。日記もかきたいね。

Half Line

なんと今年度作った唯一のpublicワールド。この動画良い。服が良い。

これは同時に制作の思想とかをどばどば書いたので自分の中では綺麗に閉じた作品です。

そういえばここの「白黒性」のオリジナルはマネさんちもそこそこ入っているなぁ、というのを書いてなかった。

ここはとても私らしくて好きです。色味も好き。わたしはだいぶコレです。

もしかしてこの辺からだんだんピンク系になっていたのかしら…

機材

そういえば大きくなんかお買い物をしたというのもありました。PCとPushですね。

3090ちゃんには毎日頑張ってもらっていますが、あまりにも3090が頑張りすぎる為に他のスペックだとどうかわからないという弊害があります。知ってた。

少なくともGCに居るためとしてはとても良い働きをしており。まぁ処理負荷は別に元々気をつけろという話でもある。あるが、あるけどな…。

CUEのせいで散々な環境を色々試す羽目になったので、まぁ頭の方を改善していく感じでやるしかないんじゃないんでしょうかね…。根本的に開発環境が重いと話にならないしな。

さて、Pushですが、あまり使っていません。

それは音弄りをする暇がないからです。余裕があるならやりたいです。代わりに実質的なmidiパッドとしてCRTVJに利用されたりしています。

LiveもPushも嫌いではないし、なんだか馴染む感覚自体はあるので、時間があればやるとおもいます。

うー。いつになるんだろう…。

あとなんだかんだ実はQuest2も買ってしまいました。デバッグ用途です。まぁVDもあるし一応ぶいちゃはできそうだったけども。

Q対応はしなきゃなあみたいなことをしばしば思いますが、色々としんどいね。Bloomが使えないのが一番しんどい。

今のところ特に使い道が無いので部屋の片隅においてあります。

ShaderFes2021

さてもう年末です。本当に今年は…。もっといろいろやりたかったね。

既に書いたものたちはまぁいいとして (解説として十分かは知らない)、かな…。

なんかShaderFesに出すとしたら、(そこまでバカをする余裕はないけど) 変なものをちゃんと出したいよね、という気持ちがあって。

今年は素直に参加しようと決めていたので (昔の作品出したり)、素直に面白そうなものとして、レイトレを考えました。

最初からコースティクスを考えていたんだっけな?まぁ計算すれば出るディティールのはずなので、𝑨𝒓𝒕𝒊𝒔𝒕みたいなことはしないで済む。よさそう。

ということで、うちのパン屋ソースコードをがばっと拾ってきて、ぐっと書いて、ぐっとやりました。

なんだかんだそこそこ時間が掛かりました。はい。列挙すると:

  • 水面を平面と仮定して、bumpだけでcausticsを出すとこまではすぐできた
  • 平面だと面白くないので、ちゃんと頂点を揺らすようにする (しかも屈折して水面が見えることがあるのでここはraymarchしなきゃいけない)
  • ノイズまみれなので仮でノイズ除去系を入れるが、微妙
  • とりあえず箱を持って回転させる処理を入れたけどいろんなものが同時にぶっ壊れる
  • 全部直してノイズ除去系も組み直す (NEEもどきも入れる)
  • 今に至る

みたいな感じです。いくらでも解説するしなんならprefabごと投げても良いくらいですが、実用性が0。ShaderFesに置くのにふさわしいものだと思います。しらんけど。

ちょこちょこ嬉しい反応を観測しているのでとても嬉しいです。というか某所でこれの話されるとは思いませんでしたが。

人生で一度は作ってみたかったシリーズ。

TokyoDemoFest - ShaderShowdown

ぶいちゃではないけど…これは大きいものだったので。

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言うことは全部書きました。よかったです。

そういえばこれは見ての通りBlenderレンダリングした絵です。

クリスタル内部の絵は普通に写真で取って適当に二値化したやつを使っています。クリスタルは普通に適当に生やしました。

本物はもっと色味がちゃんと複雑に出て…これは何の効果なんだろう。

所謂旅行先のお土産屋さんとかにあるあのガラスのあの複雑な虹色、昔から好きでした。

あの綺麗さは今回出せなかったね。うーん。本物は本当に綺麗です。ガラスが。

本当はぶいちゃにも持って行きたかったんだけど流石にな。距離関数にするのもめんどくさいしな…。

なんだかんだこれまで色々やってきてあまりこうやって「物理媒体としてのトロフィー」をもらったことがなかったので、なんというか。嬉しいです。

物理媒体のいいとこはやっぱりこれですね。質量です。

うんうん。

CUE

で、はい。

これが1月22日です。11月くらいからやってたんだっけな。

TDFの日はSANRIO Virtual Fesともろかぶりだったわけですが、微妙に書いたようにあの時はもう「みんなめちゃでかいもんに関わっとる、かかわってないのはうちだけ」みたいな気持ちでした。

CUEの制作はその頃既にやってましたけど、でもそんな気持ちでした。まぁ、これは方向の違いです。

そして、だからこそ、「ああいう」のではない「私らしさ」及び「GCの欠片」みたいなものをこっちで全力で出そうと思ったのです。

端的に言えばこれは「電ド5.0」だと思います。完全に地に足ついた空間ではなく、世界と世界の境界を覗きに行くようなモノ。

細かいことは近いうちに書きます。書きたいことは山程あります。もうちょい待っててね。

最近のいろいろな流れといい、「良い方向」に向かっていそうで幸いなことです。

私ももうちょっとがんばりますよ。

おわり

色々と書いてないこともありますが、"イベント"としてはこんなところでしょうか…。

「服」の話とか結構大きいとは思いますけど。これは書いたし。

書いてないけど大きいこと、いくつかあるんですが、まぁそのうちね…。

ワールド制作ほぼやってない… そういえばneortに作品出したりもしてない。なんかちいさなものつくってない…。

小さいものを作れなくなったのはとても悲しいですが、もうそういう時期ということなのか…。

 

まぁ、きっと大きい不満があるわけでは無いのです。ただ動きが重いのがちょっと寂しいくらい。

代わりにちゃんとぶつけていこうね、というのは正しい姿勢だと思いますが、なんかこう、もにょは残っちゃいますね。

この記事書いたところで微妙な消化不良感もありましたし。まぁ、そのうち解決する気もしますが。

いろいろやっていくしかない…。

 

あんまりtwitterには書いてないんですがいろんなワールドこっそり巡ったりしています。いろいろといいところは観測しています。

やることは変わらずいろいろあるので相変わらずみたいな様子なんですけど。のんびりぶいちゃがしたいです。

はい。

ありがとうございました。

いつものおまけ

  • 2021年
    • 3月 5.0
    • 4月 5.0
    • 5月 5.0
    • 6月 音弄りつつのんびり
    • 7月 なんか1
    • 8月 なんか1, なんか2
    • 9月 なんか1
    • 10月 なんか1, ShaderFes
    • 11月 CUE
    • 12月 TDF, CUE
  • 2022年
    • 1月 CUE
    • 2月 なんか3, なんか4, なんか5

謎の部分が多くてウケる。

なんかもはや一年ごとに書いてられない気がします。

去年の記事 では「穏やかな日々」とか書いてありますけど、これは5.0をやっていたからだとおもいます。はい。

まぁ、まとめるタイミングとしては丁度いいので来年もやろうと思います。今度はちゃんと2月末に出そうな。

パズル 220320

  • 「提示と解決」は万物の根底にあるthemeだと思っていて、私はそれを叶えたい。
  • 例えば「可能性の提示」は、「具現化による解決」と対応する。
  • 「質感の提示」は「安定性への暗示」として使われていた。
  • 但し、そうして解決しきったと思われる構造であっても、「視点」によってそうでないことがあると思っていて。
  • 即ち「提示と解決」はそれ自体が提示であり、ならばそれを解決しなければならないと。
  • つまり、「具現化によって生まれたその表現と、提示段階における表現の、何が異なるのか」を提示しなければならないのではと。
  • 私は例えばそれを「近さ」だと解釈するけれど、その解釈が合致したタイミングはほとんど無かったと思う。
  • 横方向への広がりではなく、縦方向が無いと「先」にならない。

だから、結局名前がついてしまうのでは。

区別する抽象

抽象というものは物事の共通部分を抜き出して、中にある本質的な構造を顕在化するものです。

「りんご1個」と「みかん1個」から「1」という概念を抽出するのが抽象というものです。

 

f(x) = 1-x という写像を考えます。

f:id:phi16_ind:20220309223732p:plain

…これだけだと「意味」の考えようがないですけど、例えば横軸を時間、縦軸を位置として捉えれば:

f:id:phi16_ind:20220309230448g:plain

こういう読み方ができます。左が0、右が1です。最初は右にいて (f(0)=1) 、最後は左 (f(1)=0) です。

さて、ここで g(x) = x^2 という写像を考えます。これです:

f:id:phi16_ind:20220310000043p:plain

つまりこうです:

f:id:phi16_ind:20220309235947g:plain

だんだん速くなる感じですね。

で。関数は合成することができます (一定条件を満たせば)。だから、例えば g(f(x)) を考えることができます。それは:

f:id:phi16_ind:20220310004244g:plain

こうなります。逆に、f(g(x)) を考えることもできて、そうすると:

f:id:phi16_ind:20220310004421g:plain

こうなります。この2つはまぁ、みてわかるように、違うものです。その違いは、g を基準に考えるとちょっとわかりやすく読めます。

  • g(f(x)) は、g(x) の時間を反転させたもの (なのでだんだん遅くなる)
  • f(g(x)) は、g(x) の位置を (左右) 反転させたもの (だんだん速くなるまま)

つまり、ここでは f異なる意味で用いられています。同じ関数なのに。これは如何。

 

今の話では、g は「0から1の数」を「0から1の数」に写す関数として定義されていました。確かにそうです。

だけど、私達は意味を与えました。即ち、「時間」を「位置」に写す関数であると。そうすると、それに繋げる f の役割も、合成の仕方によって変わってきます。

  • g(f(x)) と書く場合は、g の入力、即ち時間f を適用しています。
  • f(g(x)) と書く場合は、g の出力、即ち位置f を適用しています。

だから、自然に f の棲む世界が変わっていたのです。時間を時間に写す関数と、位置を位置に写す関数。

ちゃんとそういう「棲む世界」を書いてあげると、次のようになります。

  • 時間を表す空間 T = [0,1]
  • 位置を表す空間 P = [0,1]
  • g:T\to P, g(x) = x^2
  • f_T:T \to T として、g(f_T(x)) を考える。
  • f_P:P \to P として、f_P(g(x)) を考える。

つまり。

意味を考えたことで (= 抽象へ向かう道筋の中で) 、同一視していたはずのものが、異なる2つのものに区別された、という現象が発生したのです。

だから抽象化はむやみに共通部分を抜き出すというわけではないわけです。見かけ上でしか共通でないものは、逆に区別していきます。

共通部分を取り出すことは共通でない部分、つまり具体的すぎる部分を忘れることです。だから、こうやって「f_Tf_P が等しいという見かけ上の関係」を忘れることがあるのです。

 

これは結局「そういう意味を考えたから」に過ぎないわけですが、まぁ、逆に言えばそれほどに「意味」「解釈」「視点」「願い」は重要だということです。

比喩

ふんわり考えていたら書きたくなりました。なんか前にも少し書いた気もしますが、ちゃんと具体例で書こうというやつですね。

思考実験です。

\{1,2,3\}の部分集合を列挙せよ」という課題があったとして、それを人に感覚的に伝えたい、と思うことがあるとします。

そこで私が思いついたのは「"こんにちは"という単語に使われている文字は何でしょう」という問でした。これは一般的に理解できる問だと思います。

これは正しく比喩として成立しているでしょうか。していないのでしょうか。

 

比喩とは対応関係によって2つの文章を繋ぐ行為です。これにおいて、対応が「どう」成立しているかは実は重要…だと思っています。私は。

まず先程の例。

  • \{1,2,3\} という集合が、"こんにちは"という単語に
  • 部分集合という概念が、使われている文字という概念に
  • 列挙を答えるという問が、各々何かを訊くという問に

それぞれなっています。

ここで、「集合」が「単語」になっていますが、この2つには「何かのあつまりで出来ている」という共通点があります。前者は要素、後者は文字。

しかし、本来はここに大きな差があって、単語には文字の順序が定まっているという性質があります。集合にはありません。

だから、もしも本当に集合のことを知らない人がこの「比喩」を聞いた場合、集合には順序が定まっているのかと思ってしまうかもしれません。

 

対して \{1,2,3\} という「3つの要素」で出来た集合が "こんにちは" という「5つの文字」で出来た単語に対応しているという点では、逆に要素の数は今回議題にしていないということを比喩から知ることができると言えます。

即ち「問の意図は部分集合の概念を理解しているか判断することにあって、具体的なこの問題が解けることを訊きたいわけではない」という意思の存在です。

同様に要素が「数字」から「ひらがな」に対応している部分に関しても、今回は数字の性質などに関しては一切関与が無いということが伝わります。

また、「列挙」という形式は逆に順序を想起させるものとなっていますが、「全部答える」という形式は順序を無視しています。これも順序を議題にしていないということが伝わるといえるかもしれません。

 

「部分集合」という概念は「使われている文字」とは本来大きく異なる概念です。部分集合は複数の要素で出来ることを許容します。

その観点では例えば「"こんにちは"という単語に使われている文字を組み合わせるとどんな単語が出来るでしょう」という問が考えられます。

しかしこれでは逆にズレが生まれて、「同じ要素の数は区別されない」「順序は区別されない」という集合の性質にそぐわないものになります。

また、「全ての可能性を選びたい」という部分集合列挙に対し、単語列挙では「世の中に存在する単語のみを選んでしまう」ことになり得ます。

ぴったりな意味を表す問を考えようとしても元々意味のある体系である自然言語の上での具体例であるが故に、意味の無い操作が不自然になってしまいます。簡潔に感情として記述するのが難しいのです。

 

というわけで、確かに「部分集合の概念がわかっているかどうか」に対応する問となっているとは言い難いですが、「それが何から出来ているか」を問うているという観点からは的を外した比喩ではないと捉えることができそうです。

要は比喩におけるこの「何を共通とし」「何を無関係とするか」という境界が、元の問の本質を捉えているはずという話。

逆に言えばこれによって問の意図を精密化することができる他、ちゃんと対応関係を拾えていない場合は間違った解釈を増長させてしまうという側面もあるわけですね。

 

なかなか一文で全てを理解してもらうのは難しいというのは常々思っているので、私は同じ意味の文章をいろんな側面で何度か言ってみるということをやることがしばしばあります。

例えば具体例を複数立てるというのもそうだし、こうやって比喩を出すことでその共通点を感じ取ってもらったり、または「何ではないか」を示すことで外側から縮めていったり。

意図せず意味を持った言葉を発してしまうこともしばしばあるので、ちゃんと相手の理解が正しいかどうか (自身の発言が間違っていないかどうか) は相手の任意の発言や振る舞いから推測しなければならないところです。

むずかしいけれど、言葉が伝わるとうれしいものです。

媒体というものについて

これは前から思っていたことであり、感想文でもあります。

ここでは「媒体」という語を「創作されたコンセプトがモノと成って表現された、他者が観測可能な情報」を指すものとして扱います。

それは画像、動画、そして360°動画もあり、"CUEのような携帯VR" *1 もあり、当然VRもあります。

その表現力の話です。

媒体差

まず、大前提として私が"信じている"ことは、「媒体毎に異なる表現を行った方が、"良い"ものができる」です。

これはこれまでにも何度も何度も書いたことですが、これは、たぶん、あたりまえです。

良いことを認識する軸は媒体によって異なるもので、それは体験の次元が異なることから従います。

画像には時間がなく、動画には視線がなく、360°動画には視差がありません。これらはそのままメリットでありデメリットとなります。

  • 画像は細かいところをじっくり観てもらうことができるが、強制的に時間を消費させる (体験時間 (=記憶に残す期間) を保証する) ことができない
  • 動画は1フレームが一瞬で過ぎ去っていくが、動画の長さ分だけ「覚えてもらう」ことができる
  • 360°動画は自由に視線を動かすインタラクティブ体験としての性質が付与されているが、「裏側で起きている事象」を観測できない
  • VRは「空間」として情報を認識でき、最も体験的であると言える気がするけれど、動作環境を誰でも用意できるわけではない

誰でも観れるわけではない、というのは実は本質的です。媒体 (media) としての性質が異なってくるということに加え、限られた人間が持つ能力を流用することで更に良いものが作れる可能性があるということでもあるからです。PCスペックの話です。

さて、そして、鑑賞者にとっての利点と欠点は、製作者にとっては反転されて顕現します。概ね。

  • 画像の持つ情報量は比較的小さい。それはファイルサイズからもわかるし、時間軸方向が存在しないことからもわかる。
  • 360°動画はどこを向いているかわからないから注視させることが自明ではない (見せたいものを見せることが難しい)。同じ方向を見るだけになるなら媒体の意味がないが、体験者にとって視線を回すのは億劫でもありそう。
  • VRではカットとカメラワークが自然には使えない。私達は「居る」ので、世界は断絶しない。

動画を基準にした言い方ですが、要はVRのほうが大変なのです。…正確に言うと、ズルができなくなるのです。

画像はパースぐちゃぐちゃにしても良いし、動画はエフェクトいっぱい出しちゃっても良い。それが媒体の利点です。

VRでは「空間」を作らなければならないし、それらはリアルタイムで描画させなければならない。これは媒体の欠点です。

「媒体の欠点を如何に隠し、利点を押し出した表現をするか」が純粋な創作物の良さに繋がる、と思うわけです。

ここで「純粋でない」というのは、「文脈」や「説明文」についての私の視点を指していますが、今回の話では関係ありません。

FORGOTTEN MVについて

私は一切関わってない (まぁ話はちょこちょこ聞いてはいたんだけど) ので好き勝手に言います。

まず、この3つの体験は、細かいところは違えど流れは同一です。つまり同じモノを、別の媒体として切り出している、というように見えます。

だけど、同じようには切り出せない。

  • 動画ではプリレンダ *2 の力を使って描かれているシーンが多くあります。
    • 全体的な物量感、長い部屋のシーンでの塵やパーティクル化、ものすごいケーブル、破壊されているシーンの欠けのパーティクル群…。
  • 2D特有の表現として「カット」「カメラの揺らし」「文字と画像が出るオーバーレイ」 「リアル (多分?) の高解像度の動画」があります。
    • あと一瞬入るエフェクト系とか。
    • 「フレームの間引き」はVRではできない (頭揺らしてずれるとしんどい) けど360°動画では一応できそう。
    • 「デフォーカス」は実現可能だけど処理負荷が気になるところ。VRでやりたくはない。

で、これをどのようにVR用に翻訳しているかという観点で見てみると:

  • 最初の部分はまるごと差し替え、代わりに「体験の導入」としての性質を追加
  • 2フレーム程度のカット間トランジションの代わりにゆるやかなフェードが導入
  • 巨大建造物のライティングはほぼ別物、だけど動画よりも威圧感は増していると思う (カットされてないし)
  • 巨大建造物に突っ込むところは視界の回転が無い (あると酔いそう)
  • 長い部屋にある物体の量が大幅に減っているが、代わりに音に合わせてライトが明滅して影を投影している
  • パーティクル化は輪郭化に
  • 文字が出るところの長い廊下へは長い部屋から直接繋がって入る
  • 文字は板ではなく迫ってくるように出す、立体的に複数出す
  • 眼の中みたいなシーンはほぼ変わってないけど、動画には無い「出るシーン」が増えていて、ケーブルに自然に繋がっている
    • (敢えて言うと2D版では終わりにFoVが変化する感じになってるけど、VR版はモデル自体が歪んでいる)

という感じ。だと思います。(変わっている部分自体は他にもたくさんあります)

特にフェードや空間的連結性は面白い部分で。一連の体験であるということは、一連の空間であるということで、離れていたカットたちを繋ぎ合わせる必要が出てくるのですね。

 

ただ、これは「繋がっていた空間をバラバラにして (カットにして) 動画化した」という観点で見る事もできます。

動画版が結局ずっと前に進む一本道であるというのは、VRには翻訳しやすい構造なわけで。つまりVRの欠点である「空間でなければならない」という性質を、もともと動画構造によって無かったことにしているわけです。

それはプレイヤーそのものが空間の中を進んでいる (これは椅子に座って移動させられているという意味です) ことにも通じている感じもありますね。

これはどうしようもない「VR用と2D用のMVを作らなければならない」という要件に関する必然的な解だと思います。そのうちこんなのばっかになりそう。しらんけど。

 

というわけで、まず演出の基軸には「一連の空間」というものがどうしようもなくあって、それを如何に各媒体に分配するかという話だったのではないか思うんですけど。

動画版には動画の利点を存分に活かしていろんなものが載っていて、「MVらしく」なっていると思うのですけど。

VR版にある「そういう構造」はきっとあんまりなくて。強いて言えば立体的であるくらいで。

背面が観れるのは今回は利点というよりもアーティファクトだと認識していて、何故なら見ることによって音との整合性が取れなくなるケースがある (拍に合っている演出が前方にしか存在しない) からで。

最後のズルは効果的ではありますが、欠点を補完するのではなく強い利点で覆い隠すような振る舞いだとは思うので、ちょっとさみしい。

あと360°動画版に関しては、制作工程的にどうしてもVR版をベースにすることにはなると思うわけですが、ただ比較対象は2D版になってしまうので、どうしようもなく不幸だなぁと思いました。

全ては「同一シーンを同一に展示する」ことに起因する問題だと思うので、まぁ…。こう、"良いリファレンス"として捉えるのが良いのかなと思います。

…全制約を同時に解くようなコンテンツが出てくることはあるんでしょうかね。はて。

個人的な感想

あと私の趣味としての感想をちまちま置いておきます。まぁ前項も当然趣味が幾らか入っているものではありますが。

私は「構造の入ったMV」が好きで。つまり「かっこいい映像」であることよりも「意味がちゃんと備わっていること」を好みとしています。

ただ、「意味が備わっている」というのは「製作者にはこんな深い考えがあった」という話ではなく、「閲覧者がその意味を理解できる」ということを指しています。

要は「意味は見出されなければ実在しない」という話です。唯見出す人が居れば良くて、それは私ではなくて良いです。

FORGOTTENのMVは全体的な流れはわかる気がするんですが、細かい動機がわからないことが多くて難しかったです。

特に動画だと時間も空間もばちばちに切れちゃうのでそういう因果的整理ができなくなるんですよね。VR版は「繋がって」いるので気にしなくて済んでいましたが。

あと主体と客体がわからない、っていうのはあるんだけど、今回のVR版はその辺の補助は無かったかなぁと思います。いろいろと仕方ないとは思うんですが。

細かいところを言ってもどうしようもないのでアレですが、まぁ、私はなんかもっと「変」(≒ MVらしくない) な作品が好きだという話です。

あれが「何処」なのかを最初の部分から推測すると、「入っていく」構造に見えます。ただ、最後は「出ていく」構図だと思うのでどこかで切り替わったんでしょうか。 あと文字が出るところはまぁ意味としては取れない。パーティクル化は"忘れていく"みたいな側面と思わなくもないけど直後にはっきりしたケーブルが出てくるので曖昧なんすよね。 こう。意味が確定しない印象。個人的な感想です。

 

何はともあれ関係者の皆様、本当にお疲れさまでした。これは素直な気持ちです。何故ならどう考えても大変なので。

 


私は私に関する批判的文章を読みたいタイプですが、あまりそういうことが無くて寂しい気持ちもあります。(某氏のあの発言は気になっていますけど。)

おもっていることをいうのがすきです。情報を隠すことで希少性という価値を出すのではなく、情報を出して純粋な良さという価値で動く世界になってほしいです。

*1:実はこれ名前がついてないのでは?

*2:pre-rendereredの意味で使っています / 負荷を考えなくて良いという意味

メモ 220124

私の願いはなんだろうとふと思ったのだけど。

多分、ずっと「理解」だったんだろうなと思う。

人を圧倒したいとかよりは、私を理解してほしくて。

そしてそれを前提にして、みんなの願いを引き上げたい。

 

すごかったとか、わけわかんなくなるとか、そういうものに本質的な意味はなくて。

知り、理解し、その結果出てくる納得が、一番うれしいのかもしれない。

 

きっちり構造を出した結果、きっちり構造として受け取ってくれた人たちがいっっっぱいいて凄く嬉しかったです。

ありがとう。

できることと、みたいものと

お疲れさまです。

こう。

昔から言ってることですが、みたいものがあっても、つくる能力があっても、つくろうとするとは限らないということがあります。

「みたいもの」って、割とシンプルで。それこそコンセプチュアルで。こんなのがあったら嬉しいよね。そうだね。そう。

そしてそこで話が終わってしまうのです。つくらなくても、想像で満足できてしまって。じゃあ作る意味のあるものを他に探そう、ってなる。

だから、純粋にみたいものを作るには或る種の強制力が必要なのです。だったのです。私には。

 

今回、もともと恐らくfotflaさん (守護天使) に割当られていたであろう PARCO PRIZE 制作についての話が私に回ってきて、だいぶこう。

ね。

自身のみでつくる創作ではない、っていうのはそういう気軽さがあります。作ることそのものに価値を感じられるところとか。

素直で居られる感じが。わざわざもう一歩踏もうとして虚無に落ちなくても、ちゃんと踏みとどまって答えを出せる感じが。

なので、なんだかひさびさに、すごい素直な気持ちでいろいろをつくりました。

理解が難しいものじゃなくて。ただみたかったもので。そしてただ楽しんでもらいたいだけのものです。

きっと。大丈夫だといいな。

 

いろいろとしんどかったのでしんどかったです。もうやりたくないですね。毎度言うのかもしれません。

まぁこれは本当に一度きりで良くて。見られるタイミングもこの一回だけで。

寂しくはあるけれど、これがちゃんと伝わっていったらそれが嬉しいなと思います。

感想は見たいです。素直なので。

 

さっきまで延々と軽量化をやっていたんですが、これでも結構やっぱり厳しいところは厳しいみたいです。

まぁちゃんとしたGPU積んでるマシンなら大丈夫だとは思うんですけども。たぶん。

こういうのもなかなか作ってみないとわからないことではありますね。知見とは捉えたくないです。

まぁ開発中はずっとプラットフォーム差がしんどかったけどね…。

はい。もちろんVR用に作ったつもりではあるので、どうかそれで。

 


今日にも色々とやらなきゃいけないことがあって大変みたいです。はい。

まぁ、今日で終わりです。当分はおやすみをします。たぶん。

のんびりぶいちゃしたいね…。

 

というわけで宣伝?だと思います。

では。よろしくおねがいします。